1年時の秋にアンダースローに転向した[3]。甲子園出場はなし。平成国際大学ではエースとなり、2年時には大学日本代表として日米大学野球選手権大会に出場する。


大学卒業後は日本通運に入社。2年目の2008年に日本選手権本大会の1回戦、対トヨタ自動車戦の試合中に荒波翔のバントの打球を処理しようとして転倒、右足前十字靱帯を断裂し全
治1年の大怪我を負う[4]。2009年の後半に復帰すると、翌2010年の第65回JABA東京スポニチ大会の対明治安田生命戦では7回コールドゲーム