候補選手34人に選出された[12]。

2013年2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された[13]。同大会では抑えとして活躍。チャイニーズタイペイ戦では相手の小フライをダイビングキャッチしてチームを盛り立てた[14]。シーズンでは、
開幕後は先発を任され、4月23日の千葉ロッテマリーンズ戦で無三振での完封勝利をマーク。ライオンズでは1978年の石井茂雄以来35年ぶりの快挙だった[15]。好投してもなかなか勝ち星に恵まれず、2年連続2桁勝
利はならなかったが、リーグ3位の防御率を
残し、Aクラス入りに貢献。オフに選手会長に就任した[16]。

2014年5月に1勝も挙げられない[17]など勝ち星が中々伸びず、夏場も2カ月で2勝と苦しんだ。本拠地最終戦となった10月2日の日本ハム戦
で7失点を喫し、プロ入り後最短の2回途中で降板するなど前年と比べて打ちこまれる場面も増え、防御率は一点近く悪化した。オフの10月9日に日米野球2014の日本代表に
選出された[18]。第3戦では1イニングを無失点に抑え、日米野球史上初のノーヒットノーラン達成に貢献した[19]。

2015年2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出さ
れ[20]、3月10日に行われた第1戦において2番手で登板し、2回を投げ被安打2、与死球1、自責点2の成績だった