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考えてみてください。
イエスキリストは徳が高くなかったから殺されたのでしょうか?

この世の中には2つの「成功」があります。

現代の資本主義競争社会で「ただひたすらにマウントをとることで成功」と考える生き方。
これを仮初めに「社会的成功者」とでも名付けておきましょう。

そしてもうひとつが、その対極にある「人生の成功者」なのです。

イエス様やお釈迦様や大島丈が説かれているのは、実にこの「人生の成功者」のことであります。

少し思い返してみてください。
天地開闢以来、一天四海には様々な偉大なる聖人君子が現れました。
しかし、徳が高ければ高いほど、決して社会的には恵まれていないことが多いのです。

何故でしょうか?
皆さんもこれまでの人生を顧みれば、多々思い当たることがあるはずです。

生き馬の目を抜く世知辛いこの世の中は、正直に誠実に優しくなど生きていたら
それこそ小馬鹿にされ、たちまちに踏んづけられ、ボロボロにされてしまうのが落ちなのですから。

だから人は歳をとるごとにズル賢くなっていくのです。
またそうしないと競争社会では勝ち残れないのです。
競争とは相手を蹴落とすことなのですから。