0586名無しさん@ピンキー
2019/05/15(水) 02:51:29.56ID:ytAWH+QBそこで私が体験したエピソードをひとつ紹介させていただこうと思います。
少し、大島丈が見えてくるかもしれません。
数年前にも載せたかもしれませんが、私のある日の日記からの抜粋です。
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【おでん】
駅前に小さな公園がある。
その公園の一角に、この季節になると屋台のおでん屋が店を出す。
私は家路の途中、公園のベンチに腰をかけ熱い缶コーヒーで体を温めるのが慣わしである。
ふと見ると、
車椅子のおじいさんが、おでんを注文しようとしている。
手と顔が常にプルプルと震えている。
どうやら障害があるようだ。
おでんを注文しようにも、言葉が不自由で「あう、あう」としか声が出ない。
おでん屋はしびれを切らし苛立ちながら、
おじいさんの注文を半ば無視し、山勘で適当な物を皿に載せ、
おじいさんの財布をもぎ取り、お金を乱暴に抜き取っていた・・・・
それでもおじいさんは、幸せそうに、不自由な手でじゃがいもを頬張っていた・・・・
これだけ虐げられているのに、
これほど悲しい身の上なのに、なんという幸福に満ちた表情をするのだろう!
私は涙が止まらなくなった。
そして、ふと不思議な感覚に包まれた。
私は常日頃、この涙に似た感覚を味わっている・・・・
そうか!
丈作品には、この涙と同質の感動があるのだと気づく。
それはヴィクトール・フランクルの思想
「どんな時も人生には意味がある」の体現による感動なのかもしれない。
生きることは滑稽であり、残酷である。
それでもなお人生は尊く美しい。
丈がいる限り、人間は捨てたものじゃないと思えてくる。
丈がいる限り、もう一度人間を信じてみようと思えてくる。
丈がいる限り、灯を見失わない。
丈がいる限り、決して独りではない。
丈は人類のライフなのだ!