(11)【神道とイエス】

随分前にも述べましたが、大島丈は宗派を厭いません。
たとえば仏教でも神道でもキリスト教でも、これは民族の特製により差異が生じただけであり、
見ている物は同じ物で、それはすなわち「宇宙の法則」を解き明かしたものであると考えているわけです。

私は大島丈を研究するにつけ、イエスキリストの道を辿っているように思えてならないのです。
少なくとも彼がイエスキリストの境地に達していることは否定出来ません。

イエスの有名な最期の言葉
「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」
(主よ、主よ、なんぞ我を見捨てたまうや)
は、今日、実に曲解されて伝わってしまっています。

勿論、敬虔なクリスチャン達はこの点の誤信は少ないでしょうが、
これをイエスの絶望の叫び、泣き言ととらえてしまう一般人がいるのです。
これは文章の切り取りによる誤読です。

これは後の言葉につながってきます。
その後の言葉までを一般人は知らず、無知のまま批判してくるわけです。

イエスは息をひきとる直前にさらにこう言います。
「すべてを委ねたてまつる」と。

「神様、なんで私を見放すのですか?」
という嘆きがなければ宗教は始まりません。