上手くなる絵師にありがちなことを挙げるスレ
自分のオリキャラを何体か持ってて、様々な角度、向き、表情を作れて、掻き分けをしようとするひと 書き分け=髪色が違う、タレ目かツリ目かの差、メガネの有無
色々な角度=ナナメ45℃の基本絵をフォルダごと回転
まあ最近の奴の書き分けなんてこの程度 たまに古い絵でいいなと思うやつも有るが
大体ちょっと前の絵でも欠点が沢山見える ある程度の年齢にいかないとデッサンて上手くならないよな うんにゃ
上手いヤツは小坊の頃から上手い
ピカソは8歳で既にものすげーデッサン画残してる 港町育ちなんだが小学生の頃は授業の写生で港に停泊してる小型漁船描いてた
クラス全員がな
無論下手な奴もいたが上手い奴は最初から上手かったよ 上手い人は、たくさん描いてる
下手な人は、たくさん描いてない
それだけのこと 量で上手くなる部分もあるが
素質の部分もある
後者を指してエジソンは「1%の才能」と呼んだ
「99%の努力」の方が大切という認識は間違いである事はよく知られた事実 その通りだがそりゃ天才の話だろ
何もそこまでじゃくなくていいんだ 実際には天才と凡人の二択ではなくて
「天才、凡人、底辺」の三択だよなあ 天才が努力すれば神絵になる
凡人が努力すれば普通絵になる
底辺が努力すれば見れる絵になる 「画家のゴッホはテーマを決めたら、まず最低三枚は絵を描くと決めていた。
もちろん三枚描いてもうまくいかないときは、ずっと描き直すのだ。」 描きかけの絵を直し直し、いつまでたっても終わらないのは
間を空けたせいで前に描いた部分のヘタクソさがよく分かるから
なんだよね
ゴッホがそんな事してたとは面白い そこそこ描ける絵師はいくらでもいる
適当に描いて2枚より、ありったけ丁寧に描いて1枚 上手い先輩がいて、その人の修練法は鉛筆持ったら絵を描く作業以外やらないという物だった
練習量が膨大なので慢性的な腱鞘炎で、メシ食うのも左手使ってた
今ならPC立ち上げたら絵を描く以外は入力しないという感じだろうか?
「手よりクチの動くやつにロクな絵描きはいない」と言ってた 「手よりクチの動くやつにロクな人間はいない」でもいいかもw
でも世の中であれなのは逆だったり いつもヘラヘラお調子者だけど絵が上手い友人の家に行った時に
ネットとかに上げてる以外にも絵描いてるの?って聞いたら
びっしり描き込まれた数十冊のスケッチブックと
練習で描いたっていう1000近いsaiファイルを見せてくれた
実家にもまだあるって言ってた
普段の行動からこいつ遊んでばっかりでさほど努力とかしてないんだろうなーとか
才能あるやつはいいよなーとか妬んでただけに、衝撃というか自分が情けなくなった・・・
当たり前の事だけど、上手い奴は本当に沢山描いてるんだなとその時初めて実感した そいつはたぶん数十冊のスケッチを努力と思って無いよ
ヘラヘラお調子よく描いただけ
そしてそれを才能という 必要なことのためには手段を選ばない人
「〜はもうちょっと上手くなってから」とか言い出さない 挑戦して下手な絵になるのを恐れないのはあるかもな
人間つい今の力だけで描ける絵を描きがちだが 絵心のない奴は絵を観るだけ
上達する奴は絵から描き方を読みとる 上手い人は最初からうまいよ
初心者丸出しの鉛筆ラフでも、こいつは伸びるとすぐ分かる
それは描き手が再現させたかったニオイが、見る者にまで伝わっているということ
その部分さえ鍛えていれば、後は応用と、お絵描きツールを使いこなせるかどうかだけ >>106
夢で五感まで詳細に再現できる自分は神絵師だったのか そのエジソンは99%の努力でテスラを潰そうとしたがテスラの才能に負けた
そして霊界からの声が聞こえるお人形を売るようになった 「この絵は昔の絵より確実に良くなってる」という絵が描ければ
それは一段階絵がうまくなったってこと
これを何度も繰り返せば誰もが認めるレベルで絵がうまくなる
ね、簡単でしょ >>86
これはダウト
pixivとかでへたれ絵を数千枚くらい投稿してて、数千枚投稿しても全く画力が上がってない人が何人も存在していることは知ってる? 昔描いた絵でも今見るといろいろダメだなと思うことがよくある
やっぱ年をとらないと分からないものかね ・どんどん描く。手間を惜しまない、めんどくさがらない。何より描きたい表現や対象があってそこに到達するまで延々と試行錯誤している。結果絵に愛と念と技術がこもる。
・たまに描く。手間を惜しんで途中で完成とする、どうやったらうまく描けるか考えているうちに飽きる。何より自己顕示欲を満たしたいのが目的で特に描きたいものがないので何か気の抜けた絵になる
上は良い時の俺。下はあかん時の俺 銃などを描くときは写真や実物を見ながら細かい部分まで忠実に模写する
想像だけで描くと絶対上手く描けない