皆落ち着いてくれてよかったのだ

ここからはID:DCU1NuEgが言いたかったであろうことを自分なりに解釈して書いてみるのだ。間違ってたら訂正をお願いするのだ

私が言えたことではないけれども、下書きだからアナログだから下手でも問題ないというわけではないのだ
結局は清書する際に「正しい線を選択する」能力が必要になるわけだけど、下書きでよくあるシャッシャッと短い線を重ねていくのは、その「正しい線」が分かりにくくなってしまうのだ。
それ故に、下書きでは上手く見えたものが、清書で歪になってしまう、という事件が発生するのだ。線がぶれているということは、それだけ絵の魅力を損なわせているという意味でもあるのだ
そもそも下書きというのは、清書の前段階において、「ほぼ清書」の段階のことを指すのだ。その点でいうならば、私とかが下書きといっているものは、実際ただのラフスケッチ程度の汚ならしいものなのだ。(>>85これね)
これは、もう癖みたいなものになってるのだ。最悪シャッシャッの線でもいいけど、「正しい線」の道筋が見えなければ、汚いと言われても仕方ないのだ
あと大事なのは、デッサン力なのだ。いくら絵だとしても、人体の構造からかけ離れたものはダメなのだ。これは日々の練習で培わなければならないものなのだ。
これはいくら趣味であろうと習得すべき基礎能力なのだ。これが欠落するとバカにされるのだ。私がその悪い見本なのだ。骨格はおかしいし、人の姿を真似した軟体生物だと言われても仕方ないのだ

とはいえ、下手だから描いてはいけないとか、上手くなければ上げてはならないとか、そういうことはないのだ。
誰しも皆最初は初心者であり、その成長速度は個人差があるのだ。それでも心に留めてほしいのは「描きたいものをどう表現したいのか」を突き詰めてほしいのだ。妄想を形にするのはとっても難しいことなのだ。
努力を続けて、それを形にできたときの喜びはひとしおなのだ
あ、高すぎる目標はNGなのだ。段階というものがあるのだ。今ピカソやダ・ヴィンチ並みになりたいと思ったとしても、そこに至るまでの道のりが遠すぎて、挫折してしまうのだ。
まずは「ちょっと努力すればイケる」程度の目標を立てて、短いスパンで達成していくことで、満足感と高揚感で継続できるのだ。努力すれば結果はついてくるのだ

だけど間違えないでほしいのは、努力目標を「他人に評価されたいから」にするのはとんだスカポンタンなのだ。
他人からの評価も大事なのかもしれないけれども、しかしそれは「ある程度描けるようになった」頃にようやく考え始めることなのだ。最初は自己満足で良いのだ。その自己満足が、結果として他人にも評価されるようになる、というのが正しい道筋なのだ。
だから、「公正なところで評価云々」は的違いなのだ。自己満足を突き詰めて突き詰めて突き詰めて突き詰めて…そしてようやく評価、なのだ

長文失礼なのだ。ごめんなさいなのだ。私を煮るなり焼くなり批判するなりなんなりしてもいいのだ