アナルセックスの場合、「生物学的に仕方ない膣ではなく、非生産的なアナルで性感を感じる」というところから、
生物的に自然な行為から結果的に快楽を得るのではなく、快楽を得るために非生産的・不自然なことをする、というところに背徳的意義をもたせられるわけで、
そこを描写してやれば、物語的な意味での必然性、ハードルは越えられる。読者が納得してそれを読める。
食糞の場合、もう一段階(もしくはそれ以上に)、受け入れさせる為には必然性が必要な気がする。