もし、大事な人がそう長くは生きられないこと、そして、その人の最期の願いが、あまりにも実現し難いことを知ったら、あなたはどうしますか?
愛しい人の願いを最後まで叶えようと闘い抜いた、優しく、それでいて猥褻な、ひとりの中年の物語ー「子供が欲しい...お父さんの子供が欲しい...」
今日も病室のベッドから、懇願の声が聞こえる。支離滅裂であるが、嘘偽りの無い思いを乗せた、ガラスのように脆く澄み切った喘ぎ声。
「もう、太マラさんたら。太マラさんは男の人じゃありませんか」
看護師は、幼子を遇らうかのように慣れた口ぶりで、太マラ爺ちゃんのオムツを交換している。
私の父である太マラ爺ちゃんは、現在、重いケツマン性認痴症を患い、Dr.中年愛氏の経営する聖サムソン病院に入院している。
息子である私を「パパ」と呼び、男であるにも関わらず出産願望を口にする父の姿には、幼き日の私のケツマンを鬼の形相で開発した厳格さは欠片も見出せなかった。
「子供が欲しいだなんて、男なのに、面白いことを言うね」「お父さんの子供が欲しい...中出しして...」
私の皮肉は、もう父に届くことはない。彼は、自分のケツマンコから私の子が産まれると、本気で信じているのだ。
容体改善の兆しすら見せないまま、主治医との77回目の面談を迎えた。主治医は、父の容体が回復の兆しを見せないことを告げ、腹上死を勧めた。
確かに、男色に思考を支配された父にとって、腹上死は悪くない選択肢かもしれない。父の尊厳は保たれる。