さらに私が天城鷹雄氏の長編作品を読み進めて疑問に思ったのは、例えば母子が交わる場面などがあまりにも詳細に描かれすぎているという点です。
特に母親のおんなの部分を責める場面などです。

例えば、これは私も大好きな作品で、しかも大好きな場面なのですが、
天城鷹雄氏の『熟母』で初めて母・美佐子が息子・信也にアナルではなく前での相姦を許した場面では以下のように描写されています。

「いじらしてくれ」
信也は濁った声を吐くと、またも美佐子の女陰をなぶりだした。
「もうたくさん、やめて」
美佐子の目に恐怖の色がゆれた。
膨れあがり、赤くただれているクリットを美佐子は指弄される。オモチャにされて嬲愛されるのだ。
「ああ、ううっ……やめて、もうしないで……これ以上されたら死……死んでしまう……あっ、あァ、くうう……いじらないで、そこだめ、いじらないで、たくさんっ、もうたくさん!」
愛液が誘い出され、たっぷりと潤んだその女陰を口で吸われると、美佐子は体に電流が走り、足をまっすぐに突きのばし、その反り曲げた爪先を痙攣させながら叫んでいた。

このようにおんなの部分を責める詳細な描写は、扇紳之介氏の作品の中で母子が相姦する場面では見たことがありません。
何しろ比較的長めに描写されている『羞獄隷花』ですらあの程度の簡潔な描写ですので。