(十一時か、そろそろ入学式が終わるころね)
 斎藤多佳子は、時計を見やりながら、ふとそんなことを考えていた。
 多佳子は新宿のサブナードに何軒かあるランジェリーショップの一つ、
 『楼蘭』のオーナーである。この店の客足は夕方の五時以降にピークを迎える。
 その分、平日の午前中は「開店休業」といってもいいぐらいなので、
 多佳子は朝、息子の雄一を学校に送り出してから、
 ゆっくりと開店業務に取り掛かることにしている。
 店内の掃除に、商品の搬入・陳列、伝票の整理などなど、
 合間合間にコーヒーを飲んだりしながら、
 のんびりやっているうちにこんな時間になってしまった。
 もっとも夕方になると急に店は繁盛するし、
 雄一の夕飯の準備に中抜けもしなければならない。
 忙しい時には忙しいのだから、これでバランスが取れているのだろう。
(来年は、雄一も高校生か。早いものね)
 今年、中学三年生になった雄一は、いま森脇学園高等部への外部受験を目指して、
 日々猛勉強をしている。
 模試での判定も上々で、多佳子は合格を確信しているが、
 息子には「油断は禁物」と教えている。
 雄一も素直に受け止め、勉強で手を抜くことは一切ない。
 来年のこの日には、
 きっと多佳子と二人で森脇学園の校門をくぐることになるだろう。
(去年の今頃は、雄一がこんなに勉強してくれるなんて、思いもしなかったわ。
 これも敬一郎くんさまさまね)
 多佳子には、森脇敬一郎が『楼蘭』に訪れた最初の日の情景が甦ってきた。
 「年上の女性に下着を贈りたい」と、
 緊張した面持ちでしゃべる敬一郎を多佳子はいっぺんで気に入った。
 そして同時に、
 その年上の女性が「母親」を指すことに直感的に気づいたのであった。
(もしかしたら『類は友を呼ぶ』ってやつだったかもしれないわね。
 麻子さんのことをしゃべる時の敬一郎くんの差し迫った顔、
 どことなく雄一が私を見つめているときに似てたもの)