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聖女と悪女の二面性
まさにその通りだと思う。
妻母としては旦那らを愛しつつも、牝としては卍を愛する女となったということだろう。
どんなに理性で否定しても、どんなに父を想っていてもというのは唯子さんの正直な気持ちだろうと思うね。

月下香の檻というタイトルを色々妄想したきたが、最終回までの流れを見るに
月下香の二輪の花に妻母、牝としての二つの顏という二面性をあてはめ
快楽という檻に閉じ込められて、危険な関係を続けるという解釈があうと思う。
家族を想う気持ちの裏で所有される愛され方の虜にという言葉にもそれは示されているのではなかろうかと。
また、単項本のあと書きでは、
意識すらしていなかった自身の奥底に育っていた欲求
無自覚にでも次第にそれに気がついて抵抗しつつも、強い男の性に惹かれ馴染んでいってしまう。
こんな感覚やそれに伴う変化が月下香のテーマとある。
それは、長い調教によって、妻母として生きてきた唯子さんの女の部分を強制的に目覚めさせられ牝としての唯子が共存するようになったのだと解釈している。

作中でも山姫シリーズのように旦那らを愛していないなどと罵倒したりしないで
最後まで卍に抱かれながらも旦那に謝りつづけており、卍だけを愛するとも話さず、卍の女になれて幸せですという表現にとどめたのも
牝としての心や体は卍のものになっても、妻母としての旦那らを愛する唯子さんも存在するからということを示したのではと感じている。

旦那を愛する気持ちがあるなら、あんなひどいことはできないという思いもあるが、それが同人のインタビューで
話していたスイッチ論なんだと思う。
牝を目覚めさせられた女の悲しい性であり、そんなことさえできるように長い時間をかけて調教されたということ
なんだろうと思っている。

長文すまん。