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日本国民として、最低限知っておくべき正統の政治哲学。


保守主義の哲学シリーズ‐‐‐「英米保守主義」VS『共産党宣言・共産主義の諸原理』(その8)


・・・次に進む。次のパラグラフが非常に面白い(あきれて、言葉が出ない)。

 「第十六問 私的所有の廃棄は、平和な道で可能だろうか。

 答 このこと(=平和な道での私的所有の廃止)がおこりうるのは、のぞましいであろうし、共産主義者はたしかに、だれよりもそれに反対することが少ないだろう。
共産主義者は、あらゆる陰謀が、無益なだけでなく、それどころか有害であることを、知りすぎるほど知っている。かれらは、革命が意図的に恣意的になされるものではないということ、逆にそれは、
どこにおいても、どんなときにも、状況の必然的な結果であって、その状況は、個々の諸党派と諸階級の全体の意志や指導から独立しているのだということを、知りすぎるほど知っている。しかし、かれらはまた、ほとんどすべての文明国でプロレタリアートの発展が、
力ずくで抑圧されていること、そして、このことによって革命が共産主義者の反対者たちにより、全力で促進されていることをも、みているのである。このことによって、抑圧されたプロレタリアートが、
最後には、革命へとかりたてられるならば、そのときわれわれ共産主義者は、プロレタリアートの大義を現在ことばによって擁護しているのとおなじようにつよく、行動をもって擁護するであろう。」


 読者の皆さんは、この『共産主義の諸原理』の第十六問とその答を読んで、どう思うか? 私は、「これほどまでに虚言・妄言が平気で吐けるものだ」とあきれてしまう。いやここまで言われると逆に笑ってしまう。


 「このこと(=平和な道での私的所有の廃止)がおこりうるのは、のぞましいであろう」とは笑止千万である。この『共産党宣言』本文の冒頭の文句と締めくくりの文句は何であったか。

 「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」

 「プロレタリアは、かれらの鎖のほかに、この革命において失うべきものを、なにももたない。かれらは、ひとつの世界を獲得するのだ。すべての国のプロレタリアよ、団結せよっッ!」