だが、女の頬には微かな赤みが差した程度で、それ程に酔っているという
感じは見受けられない。
どうやら酒には強いらしい。
男自身も、酒を全く嗜まないわけでは無いが、今日に限っての女のこの申し出には、
些か乗る気にはなれなかった。

何故ならば。

『――今夜は、覚悟しとくんだね。昨日の分、たっぷりと、苛め返してやるから――』


女の、今朝の科白が、男の脳裏にリアルに焼き付いていたからである。
昨夜の己の行いが、決して女にとって面白くは無いものであっただろう事は容易に理解できる。
解るだけに、男は今日に限っての女のこの趣向が、女の悪戯心の為せるものであろうと
信じて疑わないのである。
「…俺はいい。酒はあまり好きではないんでな…」
女の隣に腰を下ろし、あまり女を見ないようにして、つれなくそう答える男に、女はくすり、と
悪戯染みた笑みを零す。
「何だい、つれないじゃないか。年寄りの楽しみに、一杯位付き合ってやろうって
気はないのかい?いつもはあたしの方が、あんたに付き合ってやってるってのに」
女はさも面白げな口調で、男をそう煽るが、男は頑なにそれを拒否する。
これは一種の駆け引きのようなものである事を、男は理解していたからだ。
迂闊に女の誘いに乗れば、今日は己の方が女に呑まれてしまうだろう。
今日の、この女に強いられたあの地獄のような修行内容に、男は空恐ろしさを改めて
実感したのだった。
どう女が仕掛けてくるのか、実際今日はこの部屋に入るのをやめておこうかとさえ思った程だった。
だが、束の間の、女との逢瀬の刻にすっかり骨抜きにされてしまった己の愚かさに、
やはり自然と足は女の部屋へと向かってしまった。
さぁ、どうするかと、男がそう悩み始めたその時であった。
「死々若丸…」
女が、一際艶めいた声色で、男を呼んだ。
男が、その鈴の音のように甘く、色づいた声に、思わず女に顔を向けた、その刹那。