■有田聖孝の凋落 ― ■4.沙羅の思い出 (2/7)

三年前、早瀬沙羅は聖孝の会社と取引のあった人材派遣会社の営業担当者だっ
た。野暮ったい黒ブチのメガネをかけて、肩までの黒髪のストレートヘア。
高校・大学と遊びもしないで勉強だけしてきましたというような雰囲気の
新人OLだった。就職氷河期だったので就職活動には苦労したのだろう。普
通の年であれば大手の銀行や商社に就職していてもおかしくない学歴だった
が沙羅が就活していた年は特別に景気が悪く、派遣会社の営業職の採用にな
んとかひっかかって仕方なく就職したようだった。人材派遣会社の中でも
あまり大手とは言えない会社で、
(なんでこの学歴でこの派遣会社の営業に?)
というミスマッチを聖孝も感じていた。

最初の数回は先輩の営業担当者に連れられてきていたが、すぐに一人でリア
ンアロー社への営業を担当するようになった。もう少し大手なら人材育成も
しっかりしていて、先輩社員が手取り足取り教えて一人前の営業になるまで
育てるのだろうが、あれくらいの規模の会社では新人教育もそこそこにお客
さんのところに営業に行かせ、モノになったものだけを残していくというや
り方はよくあることだ。

営業の世界では学歴は関係ない。あるのは受注の数字だけだ。人材派遣業の
ような他の会社との差別化が難しい業種では、口がうまい者が顧客のキーマ
ンに取り入って数字をあげていく。新入社員とは言え、受注のノルマを課さ
れていたのだろう。不況の影響でなかなか新規の受注が取れず苦労していた
ようだ。