「も、申し訳ありません。旦那様」
仏の顔も三度まで、流石に今朝から不注意が過ぎただろう。
——うう、ただでさえ痛みを伴う供儀とかしてもらってるのに、その前の”いろいろ”や今朝からのドジで、もし愛想つかされちゃったら……——
「いや、僕なら平気だから。それより恵ちゃんの方こそ大丈夫?」
しかし彼は安堵させるような笑みを浮かべ、素早く生者モードに戻り彼女にトコトコと近づく。
「は、はい。大丈夫です」
俯せからググッと上体を起こした彼女の言葉とは裏腹に、その右肘からダラダラと血が流れている。本人にとってはかすり傷なのだが十倍サイズだからそれなりに出血量がすごい。
「今、治すから」
彼に右腕に触れられると、そこから暖かな何かが流れ込んできて痛みがスウッと引いて見る間に傷が癒える。
「すみません、旦那様」
「いやいや、大事がなくて何よりだよ」
そう微笑みを返してくる。
こうして恵は以降は安全第一で彼をしっかりと掴むと、比較的平坦な場所——山の地理なら総て把握している——を選んで早歩き程度でズンズンと進む。やがて昼前には麓にたどり着いた。
彼女は彼をそっと下ろすと人間サイズにシュッと縮み、改めて向き直る。
「そ、その。今回は、いろいろとご迷惑をお掛けしました」
改めて頭をペコリと下げようとすると、青年が両掌をサッと向けてそれを止める。
「待った。それは気にしないで。そういうのも込みで”贄”になってるんだから」
不死身故に無茶をやり、大抵の肉体的苦痛を味わい、やがて苦痛そのものに対して不感症に近くなっている。むしろ彼女は”本番”で一撃で首を落としてくれる分、痛みがないから楽とすら言える。
「あ、あの、それでは……」
「うん。次は半年後だね。今度は直接連絡するよ」
今回は両者の共通の知人『闇姫』を仲介としている。
「ありがとうございます。それで、ですね……」
「うん?」
彼女はポッと頬を赤らめると、スッと目を逸らす。
「あ、あの、さっきも言いましたけど、次はその、ちゃんと”男女の営み”をしたいと思いますので……期待しててください」
言うが早いか、しっかりと目を合わせて彼の肩をギュッと抱き寄せ、チュッと口づけをする。彼の頬がカァッと赤らむ。
「うん。次は……、あ、そうだ!」
不意に叫ぶ。
「その、次はもっと”ちゃんとしたお付き合い”をしたいんだ。例えば、今日はもう帰らなきゃいけないけど、その……デートとか」
「は、はい。喜んで!」
緊張していた彼女の顔がパアッと綻ぶ、ただそれを見ただけで彼の心に多幸感が恍惚感が陶酔感がフワッと沸き上がる。
こうして青年は次の”供儀”の際のデートの約束を取り付け、帰路に就いた。一方の彼女の方は、まだこの姿で支配領域やまを駆け巡りたいという事で、荷物を樹の上に置いてドドドッと走り去った。
なお後日、人的被害は一切出さなかったものの、この山で何カ所もの土砂崩れが発見された。それは原因不明で、まるで”巨人が暴れたような”ものだったそうである。また、その当日にそれに伴うであろうドシンという地響きが幾度も聞こえたという。
はしゃぎ過ぎて転んだりする彼女の姿が青年の脳裏にありありと浮かぶ。
「恵ちゃん、大丈夫かな?」
ドジっ娘な山の女神の安否を心配し、彼は呟くのだった。