海士は鼓膜を破って一人前という考え方も海士の奇習という言い伝えも一部では本当だったそうです。
特に労働の厳しい海士は受けるストレスも大きいのでそれは仕方がないという暗黙の了解はあったようです。
そうした習慣のせいで上海士のほとんどは耳が遠いのと、それと性力に満ちてて体力も寿命とも恵まれた人が多かったそうです。
それでも昭和30年代後半になるとあまりにも競争が激化し過ぎて50mの深さにまで進出する海士まで出現し、
海士が恥とする失神や事故も目立って来たので激務を緩和する為にウエットスーツの着用の普及と海士漁区域と時間の制限管理が行われるようになったそうです。
それまでは時間も無制限に近く、真冬に近い時期は漁獲が多いからと裸潜りなのに勇敢に秋春の寒い季節に作業を敢行する海士が出てくる始末だったとか。
海士が最も元気だった時代が日本が最も高度成長していた時代だったというのは偶然では無かったのかもしれません。