荒行や苦行は日本古来の宗教観念と大陸より渡来した仏教思想の融合がある
肉体的苦痛に耐えれば願いが成就する=肉体的苦痛こそ真理=肉体的苦痛は善!といったものがSMに繋がる根底にはあるだろう
それが宗教的な部分や意味合いでの性的な観念や思想・思考と融合するのに不合理性は認められない
近代と同等、もしくはそれに準ずる意味合いでのSM思想が生まれたのは東洋では200〜300年前、西洋では15世紀以降になるだろうか
その思想背景や観念は東洋と西洋ではまるで異なるが「苦痛=快楽」の基本中の基本は同等と認められる
元々に宗教的概念があるのだからそれが「近代SM」に昇華してゆくことは必然

チベット仏教の五体投地や比叡山の千日回峰はある種のSM行為と同等と断じても良いだろう
西洋域には自らの背中を鉄鎖で打ちながら巡礼する荒行もある
但しそれは宗教的な権威をいささかたりとも貶める意図も要素も存し得ないので、言葉尻に噛み付いて無益な炎上行為はなさらないように!