親が離婚したら父親が「男」なってた件
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
両親が離婚して私は母親に引き取られたのですが、2か月に一回父親と会うことが決まって
いて、その日はレストランで食事をして、お小遣いをもらうってことになっていました 母親からは毎月決まった額のお小遣いをもらうってシステムじゃなくて、お手伝い何々を
したら一回につき200円とかそんな感じだったので、父親に会って決まった額のお小遣いを
もらうことは母親の公認済みだとの認識でした 両親の離婚理由につていは、はっきりと聞かされたわけではありませんが、遡ること2年ぐらい
でしょうか、弟が産まれるはずだったのですが、出産直前になって心音が消えてしまったという
ことがあって、以降徐々に夫婦の関係がおかしくなっていったと認識しています
とにもかくにも弟のことは禁句となっていたので私から触れることはありませんでしたが
このことは、どこかで触れねばとは考えていたので、この機会に では、>>3の続きに戻ります
父親からは、当時いわゆるキッズ携帯と呼ばれていたのかな?
登録した3つの番号への発信以外はできない、受信専用みたいな、二つ折りじゃないガラケーを
受け取りました
父の携帯と母の残る自宅、そして父方の実家が登録されてしました
私としては、学校に行っている間、あえて「隠してないよ」アピールといいますか、母親が気付
くであろう場所に置いていました
それは学習机のイスの背もたれの部分でした 現在は子育て真っ最中のママです
このPCを使って以前勤めていた会社から内職的にもらっている仕事をこなす以外は8割が母親、
1割が妻、残る1割を仕事に費しています
父は去年他界しました
孫(男児)を抱かせることができたのが、私としては最大の親孝行だったかな…と
さて、ちょっとお買い物に… 今世紀初頭?に話を戻します
と、その前に…今でも風呂上りなんかにダンナが「お義父さんには敵わないなぁ…」と頭を拭き
ながら呟いたりすることがあって、私と父のこと、ちょっとバレてるのかな?と思うことがある
のですが、そのままズバリ言うはずはなかろうとも思っていて、生前の父はなぜダンナとあれほ
どまでに仲よくできたのだろうか…と思うことはあります
自分とのことがあって、背中を押してやらないと、この二人は一緒にならないんじゃないかと思っ
たのかもしれません 本当に話を戻します
父からの電話は概ね週末の夜にかかってきました
食卓でも同じようにイスの背もたれに携帯をかけておくのですが、食事が終わって、さてシンクへ
運ぼうかってタイミングでかかってくることが多かったように思います
ちょっと母親の顔色を窺ってみるのがクセになってしまって…
「うん」「どうかな?」つまりはイエスかノーかで答えることができるように、今から思うと父は
工夫して話していたのだと解ります 父と会う時の服装は母親が選んでくれることが多かったのですが、ジャンパースカートというか
大きなポッケが付いているのでサロペットスカートと呼んだほうがいいのかな?がほとんどでし
たが回数を重ねて、父が服を買ってくれたりすると、買ってもらったのを優先するようになって、
それがきっかけだったのか、母が格好に口をはさむことは徐々になくなってきました
もうこれは、でかける瞬間から完全にデートですねw スレタイの話ですが、ちょっと端折り過ぎの感があります
「多い」「多い」と言われまくりで「削って」「削って」結果こうなりました うがった見方を続けると、サロペットスカートってのも女としての発育を巧く隠すアイテムとし
て、それを意図的に使ってるとしたら母も「やるな!」って感じですが、当時の私としては携帯
を入れておく大きなポッケがあって便利だなという認識しかありませんでした
いくら屋外で隠したとしても、二人きりの閉鎖空間で一緒にお風呂にでも入ろうものなら、全く
意味をなしませんし
両親の離婚前、当時流行った?帰るコールってのがありまして、パパが「今から帰るよ」って連
絡をすることなのですが、私と一緒に風呂に入るのが目的(パパが帰るまで入るなよ”)でかけてく
ることがあって、母もそれはさすがに容認していました
私も嫌ではありませんでした
ぼんやり立っているだけで面倒な体洗いがあっと言う間に終わってしまうのですから
自分一人で洗うのは面倒ですし、母親だとやけに乱暴で
その点父親だと、腫れ物に触れるように慎重になる部位もありますし、つまりは局部のことなの
ですが、結局は「あー無理!自分で洗って」となるのが3人で暮らしていた頃の日常でした
胸はどうだったかな?
まだ膨らみ始めてなかったか… 7行目
絡をすることなのですが、私と一緒に風呂に入るのが目的で(パパが帰るまで入るなよ!)かけてく 700近くスレがあるんだから、よそ行けばいいだけの話では? かくいう自分は>>1とちょっと似た境遇に育ちました。
違っている点は、自分が男で「当事者」は姉だということ。自分の下に妹もいます。
もう一点、母親がもうこの世にいなかったという点。
姉が現在、子どもにも恵まれ幸せな結婚生活をおくっているいるという点は同じですね。
姉にとっての私の存在価値は、一言で言うとはけ口というか父から受けるストレス的な
ものに対する反動を表す場だったということ。
姉と私の関係を中途半端に知ってしまった妹とは、悪い意味で深みに嵌ってしまい、今も
抜け出せずにいます。 被災したんじゃないかな?と心配
かくいう自分は、12〜24までずっとやってたという告白に耐えられなかった
俺は19から >>1は雰囲気は伝わってくるが、話があちこちに飛んで分かりにくい
ここに比べて、ネットに転がってるホモネタの文章力の高さが良く分かる みんなして要らんこと言ったな
続きの要望が多ければまた出てくるかも お前ら本当にあの文章をまた読みたいのかよ
意味不明過ぎて苦行だろうよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています