長井のための日本語矯正塾
>>kanon 362,363
@「俺に言わせりゃ、〜するんだろ?」
「俺に言わせりゃ」っていうのは、何ですか?「自分の意見を、ズバッと断定するとき」の型ですよね?
「俺に言わせりゃ、あいつはただの構ってちゃんだ」とか、「俺に言わせりゃ、そんなの屁理屈にすぎない」とか。
でもそれに続けて「〜するんだろ?」って何ですか?
相手に判断を委ねてるんですよ!
つまりこれ、「自分の断定」と「相手への問いかけ」がごっちゃになってるんです。
中国語にはこういう構文、自然にあるんですよ。
「我觉得你是不是这样做的?」
→ 「俺に言わせりゃ、お前そうしたんだろ?」
→ 「我觉得(私はそう思う)」+「是不是(〜じゃないの?)」
つまり中国語では、「自分の主張」と「相手への確認」を一文に詰め込んでも全くOK!
でも日本語では、そこを明確に切り分ける文化がある。
主張するときは言い切る!
確認したいときは「〜じゃないの?」と問う!
A「〜を見てきた結果だからこそ、〜」
これねぇ、日本語として意味は通るけど、やたらクドい!
「結果」っていう言葉には、それまでに何かを「見てきた」とか、「経験した」っていう前提がもう入ってるんですよ?
そこにさらに「だからこそ」って、結果の原因をもう一回くっつける。
いや、それ、日本語としては完全にくどい。
中国語ではこういう表現、日常的に使われます。
「看到这些事情的结果,所以我才这么说。」
→ 「それらを見た結果だから、こう言うんだ」
つまりね、「結果」と「だから」が両方使われるのが自然なんですよ、中国語では。
でも日本語では違う!
冗長な構文は、論理的に浅く見える。
これが、言葉の重みを損なうんです。
結論
日本語っていうのはね、「論理を言葉で削ぎ落とす文化」なんです。
だから、「俺に言わせりゃ」と来たら、疑問形じゃなくて、
「〜してるに決まってる」
「〜するのは当然だ」
で、ピシャッと断定してほしいんです!
「見てきた結果だからこそ」なんて言わずに、
「見てきたからこそ」
と言えばいい。
正しい日本語っていうのは、「いかに少ない言葉で、正確に伝えるか」。
そこに、日本語の美学があるんです!