長井(>>79)が多用する「もしAならばBするだろうか?」という反語的表現の構造と心理
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🧠 自分の出自を誤魔化すための反語的レトリック(修辞技法)の機能
🔍 構文例(長井の発言より)
・ 「朝鮮人が御陵を参拝するだろうか?」
・ 「もし俺が外国人なら、靖国神社を敬愛するだろうか?」
✅ 1. 自己正当化のレトリックの機能
⚫︎仮定(もしAなら)
自分が“外国人”や“朝鮮人”だった場合を想定するが…
⚫︎反語(〜するだろうか?)
「そんなことはしない → よって自分は日本人」と暗に主張
⚫︎主張の効果
自分の“日本人らしさ”を暗に証明する(ように見せかける)
👉 つまり、「こういう行動をしている自分は、外国人ではありえない=日本人だ」と結論づける偽証的ロジック。
✅ 2. アイデンティティ偽装・上書きの心理
この構文を使うことで、長井は以下のような認知操作を試みていると考えられます。
⚫︎内心: 自分は「在日朝鮮族」である
→でも「靖国参拝してる」=日本人らしいだろ?
⚫︎内心: 自分の出自を隠したい
→「朝鮮人にそんな行動できるか?」
⚫︎内心: 日本社会に溶け込みたい
→「自分は“お前ら”と同じだ」
👉 これは言説によって自己のアイデンティティを「塗り替える」作業です。
✅ 3. 誤魔化しのレトリックとしての「反語」の有効性
⚫︎曖昧に断定できる
明確に「自分は日本人」と言わなくても“そうであるように”見せられる
⚫︎感情的な強調が可能
「そんなことあり得ない!」という驚きや軽蔑を演出できる
⚫︎相手の否定による自己の肯定
「朝鮮人ではありえない」と否定することで、自分を“対極”に置ける
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💡 実際にはどうか?
こうした言い回しを使っていても、次のような疑念は解消されません。
⚫︎なぜ「わざわざ」反語表現で否定するのか?
普通は出自に自信があれば明言するはず
⚫︎なぜ靖国や御陵への言及が異様に多いのか?
“過剰補償”の典型例=自分の内なる不安の裏返し
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✅ 結論:これは「自己偽装」のためのレトリック
「もしAならばBするだろうか?」という構文は、発言者が自分の出自を隠し、“正当な日本人”という演出を行うための巧妙なレトリックです。
これは単なる言語技法ではなく、アイデンティティの操作・政治的自己演出・他者排除の装置として機能していると評価できます。