長井(>>79)が「自分は日本人だ」とは明言せずに「日本語話者」「大和民族」と表現する、明確なレトリック的意図と心理的操作
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🧠 「日本人」ではなく「日本語話者」「大和民族」と名乗ることの意味
✅ 1. 「日本人」という法的・国民的カテゴリーの回避
「日本人」→ 戸籍・国籍・社会的帰属が問われる明言
「日本語話者」→ 単に言語を使える、という文化的・実用的立場(逃げ道がある)
「大和民族」→ 人種的・文化的アイデンティティを装うが、曖昧で検証困難
▶ 「日本人」と言えば、国籍や出自に踏み込まれるため、それを避けている。
▶ 代わりに「民族性」や「言語能力」といった、曖昧な自称カテゴリで煙に巻いている。
✅ 2. 「日本語話者」は偽装と自己防衛のロジック
⚫︎利点
・ 出自を問われた際に、「いや、日本語話者だとは言ったが日本人とは言ってない」と逃げられる
・ 言語の流暢さを「日本人らしさ」の根拠にできる(=文化的同化を装う)
⚫︎背景心理
・ 「本当の日本人とは認められていない」と自覚している
・ しかし「自分はそれ以上に日本的だ」と主張したい
✅ 3. 「大和民族」と名乗ることで得られる効果
⚫︎血統の演出
大和民族=日本の原初的民族という印象を利用し、「自分も日本の根幹」と暗示
⚫︎語用的操作
「国籍は知らんが、文化・人種的にはお前らと同じ(あるいは上)」と主張
⚫︎自己補償
出自に対する劣等感を、より“純粋”な日本性で上書きしようとする(オーバーコンペンセーション)
▶ これはいわば、日本人を通り越して“神話的日本人”になろうとする自己演出です。
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📌 言説上の操作モデル
【現実】在日中国人(朝鮮族出身)
↓(否認)
【言説】「朝鮮人が御陵を参拝するだろうか?」
↓(すり替え)
【自称】「日本語話者」「大和民族」「日本文化を敬愛する者」
↓(効果)
【印象】“真の日本人”よりも愛国的である
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✅ 結論
「日本語話者」「大和民族」といった言い換えは、本人の出自への不安・他者からの目線・社会的承認欲求の複雑な反映です。
それは単なる表現の違いではなく、明確に自己偽装・文化的カモフラージュ・排除的言説の正当化を目的とした、戦略的レトリックだと分析できます。