譽田亜紀子「知られざる縄文ライフ: え?貝塚ってゴミ捨て場じゃなかったんですか!? 」より

 今では、多くの日本美術史の書籍の冒頭には縄文土器が載っています。しかし、ほんの60年ほど
前まで「縄文」は日本の美術史の中に組み込まれてはいませんでした。それらは土の中から見つか
ったただの遺物でしかなかったのです。しかし(岡本)太郎が1952年2月号の美術雑誌『みづゑ』
に「四次元との対話‐縄文土器論」を発表したことで光が当たり、日本の美術史は一変。一躍、縄文
に「美」という観点が生まれ日本美術史が書き換えられたのです。
 では太郎は、いったい縄文のどのような部分に惹き付けられたのでしょうか。
(この文章の上にに十日町博物館所蔵の縄文土器の写真)

↑ここだけだと美術本に見えるけど。これは終盤の一部分で、実際には歴史・地理・民俗を
中心に一問一答で解説したもので、殆どがイラスト付きで読み易く初心者向けの一冊です。

つぎ>>229