<電気椅子の失敗例>
第二次世界大戦が終わった翌年、殺人罪で逮捕されたウィリー・フランシスは
当時まだ15歳だったが、死刑の判決を受け、2年後の17歳の時にルイジアナ州
アンゴラ刑務所で刑が執行されることになった。
看守に付き添われて処刑室にやってきたウィリーは電気椅子に座り、固定されると
すぐに電流が流された。激しいショックに痙攣するウィリーの身体から火花が飛び、
頭からは白い煙が立ち上った。咽喉までたれた目隠しの下から断末魔の叫び声が起こる。
だが、彼は死ななかった。刑務所長の判断で通電は止められ、ウィリーは病院に運ばれたが、
全身に大火傷を負っていた。

「口の中がまるで冷たいピーナッツバターみたいな味がして青、ピンク、それに緑色の点々
が見えたんだ。頭と左足がめちゃめちゃに熱くて、オレは電気椅子の上で飛び上がったよ。
オレは神様に死なせてくれって頼んだよ。それほど苦しかったのさ。
身体じゅうをすごい熱が突き抜けていくんだ。足の指が曲がっていうのが自分でも分った。
生きたままフライにされているだなと思ったよ」
病院で治療を終え、独房に戻ったウィリーは鉄格子越しに同じ死刑を待つ仲間にそう語った
という。
ウィリーの弁護士は「一度電気椅子にかけられた人間を再び同じ椅子に座らせるのは残酷で
憲法違反だ」と主張し、全米でそれをめぐって「是か非か」の論争が繰り広げられた。
判断を委ねられた最高裁でも票は割れたが、多数決で「再度試みよ」との結論が出され、
ウィリーは二度目の電気椅子で痙攣を繰り返しながら、絶命した。