和紙の歴史
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紙の発明者として名高い蔡倫は、宦官であったが故の、
後宮の政治抗争事件に引き込まれ哀れな最期を終えている。
長い中国の歴史で、多くの人々が去勢されて宦官に仕立てられた。

世界史でも中国にしかなかった宦官の制度は、去勢されて後宮に仕える官職で、
主に罪を犯して宮刑(腐刑ともいう)に処せられたものが用いられた、との暗いイメージがある。事実、
宮廷という密室の中で、政治的な暗躍を図り、私腹を肥やし事実上の政治権力を壟断した宦官も多い。
 しかし、数多い宦官には歴史に名を残した優秀な人材も多い。     
 『史記』で名高い司馬遷は、自己の良心に忠実な発言のため、武帝の怒りに触れて屈辱的な宮刑に処せられている


宦官の歴史で、優れた宦官の双璧とされているのは、蔡倫と明の鄭和とされている。
明軍が元軍を撃破して各地を制覇した時、将軍たちは明の皇帝に献上する美少年を物色し、
十二歳の眉目秀麗の鄭和を献上品に選んだという。

鄭和の家系は、雲南のイスラム教徒の有力者で、チンギスハーンに従って功績があったという。
敗戦国の奴隷のような立場で、皇帝への献上品にされてしまったのだろう。
鄭和は去勢されて明の永楽帝に仕え、後にその才能を認められ、七回に渡る
アラビヤ・アフリカまでの大航海の総司令官を勤めた。

さて、蔡倫のことである、字は敬仲、現在の広東省に近い湖南省南部の桂陽の出身である。
去勢の経緯は記録に残っていないが、やはり少年の頃に去勢されたと推測されている。