>>67
その顛末は本に書いてあるが、ちょっと悲惨。萌えるように多少脚色すると。。。。

家が貧乏なので12歳で自宮して宦官になったはいいが、傷が癒えてようやく立ち上がれるようになった時点で
清王朝が倒れたことを知らされた(当時は情報伝達が遅いから)。村の人々は最初は同情してくれたが、
そのうち「サオ無し玉無し」をバカにされるようになった。当時の中国の貧乏家庭は家の中にトイレなどはなく、
道ばたでするのが当たり前だったから、性器のなくなった股間を覗かれたり、立ちションできなくなったり
したことを嘲られたのだろう。

年数が経過し、同い年の子は2次性徴を迎えるが彼だけは2次性徴がくるはずもなく、しだいにイジメが
耐え難いものになっていった。それを哀れに思った寺の和尚が彼を引き取り、坊さんにするべく修行を課した。
「お前は六根不全になったことにより、恋愛の失敗や子供が早死をしたりすることからくる人生の挫折から
解放されたのだ」などと慰めた。彼は優秀だったので和尚は本格的に仏道に進ませたいと思ったが、
宦官になって立身するという夢は捨てがたく、和尚の知り合いの宦官の推薦で、王府(皇族)の召使い見習い
として北京に行くことになった。この時16歳。

そこで彼は馬丁の下働きにさせられた。正規の馬丁達は働かずに彼をこき使った。馬のチンコを洗わせては、
去勢されたことに対する屈辱的な言葉を投げかけたりした。そこに皇族が通りかかり、「こんな貧弱な子を
こき使って!」と怒り、馬丁は罰せられた。やがて紫禁城の宦官に欠員が出来たので、彼は紫禁城に就職する
ために大総官大監の面接を受けることになった。

面接室で大総官大監と2人きりになるなり、「全裸になって両足を開け!」と言われ、素っ裸になった。大総官大監は
性器が切り取られた彼の股間をまじまじと観察したので彼は赤面した。