その他著名な伝説としては、本州西部の有力守護大名であった大内義隆の遺児、
歓寿丸(実在人物か不明)の逸話が挙げられる。
義隆が家臣陶晴賢の謀反によって、1551年(天文20年)9月1日、長門大寧寺に攻め
滅ぼされたとき、残された歓寿丸は、女装して逃げ山中に潜伏したが、翌年捕らえられて
殺害されたという。
その際、歓寿丸本人すなわち男児である証拠を求めた陶軍が、遺体の男根を切除して
持ち去ったとする伝説[3]があり、山口県の俵山温泉近くにあるその現場には、
歓寿丸を哀れんだ村人によって、現在、麻羅観音という寺が造られている。

^ 異説では捕らえられた際に生かして放免する代わりに本人が出家することと
子孫を断つため去勢されたのだという。
また別の説では殺害後に性器を持ち去られたのは別の事件で殺された陶晴賢の息子
鶴寿丸のことだという。
また性器を失って生き延びた歓寿丸は後に還俗して大内義尊と名乗ったともいうがこの名は
大寧寺の乱で殺された兄亀童丸の諱であり、誤字を含むか混同があると考えられる。