>>141のつづき
沼が連載を始めた「あるマゾヒストの手帖から」の2回目、1953年7月号に「スラックス」
という節を設けて、女性のスラックスについて書いた。

そしたら、翌8月号に、服飾研究25年という吾妻新って人が「女のズボンについて−沼正
三氏に−」なる批評を投稿。
これに沼が反論して、12月号まで、二人の間で組んずほぐれつの大乱闘となった。
特に、沼の記事は、強烈な皮肉や当てこすりがてんこ盛り。超辛辣だった。

また、翌1954年4月号と6月号でも、「日本唯一の性心理学者」を自任する高橋鐵氏に噛
み付いて、強烈な皮肉・当てこすりたっぷりの記事を投稿している。

ちなみに、「夜の私」だけでなく、「昼の私」も論争大好きで、石田某との論争なんか、
法曹界で語り草だよ。「倉田石田論争」なんて呼び名までついてるから、ググってみ。

まあ、沼正三って人は相当プライドが高くて、ちょっと困ったチャンなんだろうね。
だから、アマノみたいに「先生、先生」って持ち上げてくれると「愛(う)い奴」なんて
可愛がるけど、モリシタみたいに「教えてやるぜ」って顔するやつには、ムカついて、
つい遠ざけちゃうんだよね(…って、「昼の私」が書いた随筆でも言ってるよ)