Wikipediaで倉田卓次氏の略歴を見ると、学徒出陣で津田沼鉄道隊に入隊し、
ポツダム少尉で復員復学とある。その間に何があったのか。

津田沼鉄道隊とは鉄道第二連隊のことで、それを母体に編成された
第三〜第二十連隊のなかには泰緬鉄道を建設した連隊もある。
実際にビルマで倉田氏は英軍の捕虜になったのではないかと夢想が膨らむ。