>>498
偶像崇拝という言葉を思い出します。
貴男にとって布由子(匿名)さんも偶像ですか? エピキュリアンの鼻フックも、偶像なのですか?
鼻責めマニアの私たちにとって、真実は己の心の中にあるのだと思います。
心の中にこそ、鼻責めや顔責めの真実があるのでしょう。
布由子さんをidolと呼ぶのなら、布由子さんは「本体とは異なった偽物、虚像」という理解がされてしまいます。何故なら、鼻責め・顔責めのphilosophyはこの30年ほどでできた一つの偉大な性に関する哲学だからです。

以下参照。
http://www.ozawa-katsuhiko.com/10christ_hikari/christ_hikari_text/christ_hikari03.html
他方で、この偶像という言葉は「本体とは異なった偽物、虚像」という意味でも理解され、
マイナスの意味合いも持ちます。
これはヨーロッパの言語(ラテン語)での「idola」の場合に見事に当てはまります。
このidolaというのは、もともとはラテン語で「姿」とか「像」という意味で、特にマイナスイメージのものではありませんでした。
ところが、西洋哲学史上で「本体を見えなくさせる虚像」という意味合いで使われるようになってしまいます。