昭和50年代、俺のいた中学校のスケバンがテニス部顧問の女教師(当時30代)に竹鞭でブルマーの上から鞭打ちをうけていたのを目撃した。
机に手をついて90度の姿勢でお尻を突き出さされ、そこに女教師の容赦のない鞭打ちが飛んできた。

「痛ってぇー。このクソババァ!」
と逃げ出すと、女教師がスケバンの耳を引っ張って机に手をつかせ、鞭打ち再開。
「ヒュン、ピシッ。」
でブルマーを両手で隠して逃げる→往復ビンタと迫力ある怒号で連れ戻される。
10発くらいで
「ごめんなさい。もうしません。」
とスケバンが泣き出すが、女教師は
「まだ許しません。お尻はいくら叩いても怪我をしないから大丈夫。先生も中学生の時よくお尻を叩かれたのよ。
 アメリカではお尻のことを教育の丘と言ってパンティを下ろしてミミズ腫れになるくらい叩く厳しいママもいるの。
 さぁ、お尻を出しなさい!」
と鞭打ちを再開し、20発くらいでスケバンが崩れ落ちて号泣するのを見て、女教師はお尻の鞭打ちの激痛と恐怖からスケバンを開放してあげた。
その教師は、山口県防府市の国○中学校にいた光浦○子先生。愛車は真っ赤なフェアレディZ。

俺なんか、たった1発でお尻を両手で抱えてその場でピョンピョン飛んで先生に許しを乞うていた。