>>474
気になってググってみたw
1920年(大正9年)に京都の(現)平安女学院が採用したのが最初
ついで福岡女学院が1922年(福岡)、フェリス女学院(東京)、金城学院(愛知)などが相次いで採用

多くの学校が男子の学生服として立襟で陸軍式の5つボタンのチュニックを採用していたため
「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があった
明治維新の時代の日本は富国強兵の思想に熱中していた。従って、軍事的な意味を帯びるこの制服を日本は気に合った
男子用は士官が着用する詰襟、女子用は兵士の着用するセーラー服、ということで
当時の男尊女卑の思想が読み取れるという意見もあり

女子用学校制服としてセーラー服は次々と採用されるようになっていき、「女学生=セーラー服」という印象が浸透していった
戦争に突入すると一時的に物資不足などにとりセーラー服は国民服にとって代わられるが
終戦後、再び全国各地の学校で女子用の制服として定着

…という事らしい。定着したのは見た目可愛いかったりお姉さんに憧れてってのもあるかもねw
小学生がランドセル欲しがる感じで中(高)学生になった感があるし