https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1684822732/
>その上で、企画に当たり、日本に初めてキリスト教を布教したことで知られる、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが残した資料を読んだと説明。
>「フランシスコ・ザビエルなんかのやつ(資料)を読むと、日本に来て布教活動で1番、驚いたのが衆道、男色が、普通の庶民の間にまで、はびこっていたと。
>それを戦国の時代劇で、森蘭丸や(武将の側に使えた美少年の)小姓が出てきても、あまり実態を描いていない」と、
>日本の時代劇が衆道、男色といった、慣習としてあったものを、避けて描いていると指摘した。
> そして「自分の映画は正しいか、正しくないかではなくて、当たり前にそういう世界があって、
>そういう人たちの慣習を平気で描くようにして、そういう人たちの中での人間関係が本能寺の変につながっている。
>裏では語られるけど、表面上、あまり描かないことを意識して映画化した」と強調。
>「全然、今まで見たものと違うと言うかも分からないけれど実際、こういうことだ、とは思っているんですが」と語った。
> さらに「暴力という一括りにすると、暴力の範囲に入るか分からないけれど、じゃあ自害だとか切腹する…
>そういうシチュエーションになった時に、行為自体は殺人行為であっても、
>戦国時代の時代背景、侍の本分とか、あらゆる設定を考えると、
>暴力と死と男色なんていうのは、かなりリンクしているような気がする」と衆道、男色は武士道の精神性にも関係性があると指摘。
>「殿様のために死んでいくこと、その殿様と(家臣が)衆道の関係があるからこそ、殿様を逃がすために盾になって死ぬ美学があって。
>愛と死と暴力と、3つが混在した好意があって、どこかの部分…衆道だけ切り取るとおかしくなるんで、
>文化が育んだ武士の作法にも関わってくるんで、難しいんだけど」と、
>衆道や男色を含めて描くことが、時代劇の本質であることを、重ねて訴えた。