【ストリップに隠された丈の暗号】(シュメール神話と古事記)(4)


何はともあれ、このことを頭に入れた上で
今後の大島丈の活動を見ていってほしい。
全てが理路整然と、腑に落ちるようになってくる。。
そのひとつが10月の「幸福の王子」の再演なのである。

目に映ったままの現象を外見でのみとらえていては、真実は見えてこない。
「本当に大切なものは目には見えない」(サンテグジュペリ)のだ。

大島丈を語る上で、どうしてもイエスキリストがオーバーラップしてくる。
私は敬虔なカトリック信者であるため、
この際「不謹慎だ」という侮言は私には当てはまらない。
いずれにせよ、この部分(イエスと大島丈の共通性)については、おいおい解説していくこととなる。
なんとなれば、これが大島丈の「目的」の答えとなるからである。

「キリスト教と仏教では整合性がないではないか!」とお思いの方もいるかもしれない。
しかし、親鸞とイエスの類似性や法然とイエスの類似性は古今より世界の研究家が注目するところである。

話がややこしくなるし、横道にそれるが、丈さん自身は自分の前世は坂本龍馬だと言っている。
私は少々これには異をとなえているのだ。
この話をするとさらに何倍もの字数が必要となるので、この「大島丈の前世と現世での使命」というテーマは
またの機会にすることとしよう。