中学受験でラサール、麻布、栄光、筑駒の全てに合格し、筑駒に入学。中学生の頃からAVに夢中になる。少しでもAV業界に近づくため、
高校卒業後、レンタルビデオ屋でアルバイトをする。この時、アルバイト先の店舗で最も多くAVを借りている客が自分だったことを顧客情報で知り、
「僕にはモザイクの向こうに行く資格があるんじゃないか」と自負したという。しかし、当時は親バレやヤクザへの恐怖などから、
まだAV男優の仕事を始める決心がつかなかった。
一年浪人して専修大学文学部心理学科に進んだが、大学のランクに納得がいかなかった他、無理をして入った社交ダンスサークルに馴染めず20歳の時、
1年生の夏休みにV&RプランニングでAV男優のアルバイトを始め、大学は中退。
汁男優として最初に出演したのはインジャン古河の監督作品『ザーメン死亡遊戯 深田愛』で、ギャラは1万円であった。
森林原人という芸名は、古河が「色黒で顔つきが原始人っぽかったから何となく」との理由で命名したものである。
22歳の頃、両親にAV出演が発覚し、父親から「そんなことをさせるために今まで育ててきたんじゃない」と言われた。
29歳の時に「AV以外のこともしておこう」との思いから服飾の専門学校に通い始め、そこで知り合った女性と結婚の話も出たが、
「私と結婚したいならAV男優を辞めてくれ」と言われて破談となった。
親には今でもAVの仕事を認めてもらっていない、と2014年に発言している。2014年現在も独身である。