アマゾンで、ラブドールを購入する・購入した人の為の情報交換の場です。
アマゾン以外への誘導は基本的にスルーでお願いします。
また、楽しく有意義な情報交換の場となることを願っています。
テンプレがあればよろしくお願いします。
▼荒らしや煽りは徹底的に放置
・異なる意見も尊重する事
・業者、関係者、工作員、社員等のレッテル張りは放置
・購入前に過去ログの内容に良く目を通すこと
・荒らし、煽り等に対しては専用ブラウザのNGワード機能等で各自自衛する事
・SHOP批判、ドール批判は荒れる原因になるので慎重に
次スレは>>970が立てる事
前スレ
【ラブドール】アマゾンでラブドール14体目(40体目)
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/lovedoll/1530111234/ でも確かお金は、俺も出した記憶があるけども、良く覚えてないです。
…で、PSoneが発売したのは2000年の7月何だけども、
俺、その時に初めて、第5世代のゲーム機に触れたんですよ。はい。
だからその、バイオハザードもff7もリアルタイムで遊べなかったし、
当然の事ながら、任天堂64のソフトもリアルタイムで遊べなかったんですよ。
てか64は家になかったし。
…これは、俺の人生において最大の損失と言ってもいいくらいの損失です。
例えば俺、95年に小学生に入学したんだけども、
だから、小学校の6年間という、1番感性が研ぎ澄まされているであろう時期に、
バイオハザートも、FF7も、マリオ64も、ゼルダの伝説も何もかも遊べなかったんですからね。
ほんと空虚ですよね。俺の人生って。
ちなみにPS2は、割と早い時期に買ったけども、
確か2002年くらい。
でも、小学校6年間の間にPSも64も遊べなかったという劣等感から、
PS2でどんなゲームを遊んでも、純粋に楽しむことが出来なかったです。
常になんかモヤモヤしていました。
…なんていうか。
たまに、友達の家とかでマリオカート64とかやる機会があったんだけども、
俺はその、家にはファミコンとスーファミしかなくてそれが劣等感になっていたから、
マリオカート64を遊びながら、「スーファミのマリカーのが面白いし。
…てか、ゲームにポリゴンとか要らねーし。」みたいなことを思っていたんですよ。
それはまあ、仕方のない精神防衛なんだけども、
そのせいで、PS2以降のゲームをやってもモヤモヤするようになったんですね。
あと、PS2買った事をきっかけにして、ファミ通を買い始めました。
小学校を卒業する半年くらいまえには、
静江さんと一緒に、俺の中学校の制服を作りに行きました。
…凄く嫌だった。うん。何が嫌だって、全てが嫌だった。
当然静江さんと一緒に外に出るのも嫌だったし、
それにそもそも、この時期にはもう、自分がこの世界に存在してることが嫌だったんで、
外に出ること自体が嫌だった。うん。
でも、行かなきゃしょうがないので、行きました。
デパートに着いて、それで制服を注文する場所に行きました。
そして俺は、女の店員さんに促されて更衣室に一緒に入りました。
理由は、俺の体のサイズを図るためです。
…だからその、上半身裸にならなければいけないんですけれど、
それが恥ずかしくて恥ずかしくて。
だって、脇毛とか生えてたし、風呂とか入ってなかったから体臭とかも気になったし、
何より、人前で鏡を見ることが嫌だったんです。
でも、とにかくお礼だけは言わなければいけないとずっと思っていたので、
俺の体を測り終えて更衣室から出る時に、「ありがとうございました。」と搾り出すような声で言いました。
女の店員さんは驚いた感じで、でも少し嬉しそうにしていました。
中学校の制服は、測りに行った数週間後くらいに、静江さんが取りに行きました。
俺が中学生だった頃のこと
2001年4月〜2004年3月
★基本的な俺の生活のこと。
平日は学校行って、帰って来たら勇さんに気を使いながらひっそりとテレビかゲームをして、
でもたまーに、クラスメートと遊ぶこともあったけども、基本的にはテレビかゲームです。
あと、2002年位からラジオを聴くのに嵌って、
バツラジと、月曜ジャンクと火曜ジャンクをよく聴いていました。
それで未だに火曜ジャンクは聴いていて、その影響で爆笑問題の信者になりました。
休日は、蓮沼くんの電話がなければ、
勇さんに気を使いながらひっそりとテレビとゲームです。
あと、日曜の昼間にやっていた日曜日の秘密基地を聴いていました。
…てか、一日中TBSラジオを聞いていました。
★俺の中学校生活のこと。
俺が入学した中学校には、瞳さんも健さんも勇さんも通っていました。
だからなのか、自分が中学生になることがなんか不思議でした。
…う〜ん。
瞳さんや健さんが中学生の時は俺は幼稚園生くらいだったんだけど、
なんかその頃に感じていた瞳さんや健さんはもっと大人な感じがしたんだけど、
実際に俺が中学生になってみると全然子供で、そのギャップに違和感を抱いていたんだと思います。
中学校がある場所は小学校がある場所より遠くて、
だから小学生の頃よりも早く起きないとダメなので、そのことは嫌でした。
でも、俺と同じ小学校を卒業した人が俺と同じ中学校に沢山入学したから、
クラスの半分くらいは俺の知っている人でした。
そのことは、良かったです。
あと良かったことは、俺は貧困家庭で、家族仲も良くなくて、だから自分を表現することも出来なくて、
つまりその…、服がなかったんです。
小学生の頃は、自分が来ている服が変だということはわかっていたけど、
なんかもうどうすることも出来なかったんです。
でも中学校は制服だから、服に悩まないで良かったのでそのことも嬉しかったです。
それで、俺が中1の頃の担任の先生は、勇さんが中学生だった頃にも中学校の先生で、
それで勇さんは不良だったから、そういう意味において、
「あの前田の弟か」というような感じで、最初俺に接して来ました。
中学校は任意で部活動に入部することが出来たんだけども、
それで俺は別に部活動なんてする気もなかったけども、
新しい環境にみんなが自分の立ち位置を探しているあのフワフワした感じに流されて、
入部する気がないのに部活動に興味があるフリをしてました。
それでそういう雰囲気に流されて俺は、
大井くんという割と仲のよかった人と一緒に、柔道部の見学に行きました。
それでその時、俺は柔道部に入部する気など全くなかったのに、
「柔道部入らねー?」みたいな雰囲気に大井君となりました。
結局大井くんは、元々他の人とバスケ部に入る約束をしていたらしくて、
後日、「ごめん俺やっぱ柔道部には入部できない」みたいなことを、俺に申し訳なさそうな感じで話してきました。
俺は大井君に無駄な気を使わせてしまい、申し訳ないことをしたと思います。
それで俺は当然の事ながら、3年間帰宅部でした。
…で、まああれですね。
中1、中2の頃まではなんとか学校に行っていたんだけども、
中3の頃になっていくと、俺の精神が限界を達して、だから学校をサボるようになったんですよ。はい。
俺は小学校の5年生くらいからその…、自分がこの家に住んでいることが劣等感になっていて、
…いやまあ、それだけでもないんだろうけどね、うん。
とにかく、自分の家庭環境そのものに劣等感を抱いていたから、
自分の置かれてる状況を客観視したくなかったんですよ。
だからなんか、クラスメートとはあまり仲良くならないようにしていたんです。
あんまり仲良くなると、「今日お前んち行かせてよ?」みたいな、そういう事を言われるリスクがあるからね。
でも、他のクラスメートたちはそんな劣等感は抱いてないから、
どんどん仲良くなっていくんですよね。うん。
だから、中学校生活での一番の悩みは、
どうやって休み時間に孤立しないように立ち回るかであって、
ほんとそれだけを考えながら学校生活を送っていたと言っても別に大げさではないくらい、
ずっと考えていました。
それで、授業中は座って授業をただ受ければいいだけですから本当に楽な時間だったんだけども、
休み時間は辛かった。特に、授業と授業の合間の10分くらいの休み時間がほんと辛かった。
何故なら、10分位の休み時間だから、みんな本当に仲いい同士で話し始めるから、
本当に仲の良いクラスメートが居なかった俺は、1人でポツンとするしかなかったからです。
だからもう、1人で場を持たせるためには寝たふりするしか無いんですよ。
本当にわざとらしいことだと思いますよ。はい。
でも仕方ないんで、休み時間になる度に寝たふりをしていました。はい。
思い出しただけでも、ホントゾワゾワします。
でも、やっぱりというかなんというか、こんな学校生活を送っていても、
これはまあ俺が中3の頃だけども、俺が何となく所属している派閥の人たちから俺の家の話題が出て、
俺はホント嫌だったんですけど、特に、その中で唯一俺の家を知っている伊藤くんが、
愛想笑いしながら微妙な反応していたのも、ホント嫌でした。
いつの間にか、俺が平屋の汚い家に住んでいる事を知られていて、
その時に、あまり裕福ではない渡辺くんが目を輝かせていた事も嫌で嫌で仕方がありませんでした。
ある時千脇くんが、俺の住んでいる家を本気で知りたかったらしく、
下校の時に俺に付いて来ました。俺は憂鬱な気分で下校しました。
俺の住んでいる家を知った千脇くは、愛想笑いを浮かべていました。
俺は惨めな気持ちになりました。
…まあ、そんな中学校生活を送り続けた俺ですから、行きたくなくなるわけですよ、学校に。
だからまあ、なるべく学校にいる時間を減らしたいという気持ちから、家を出る時間も遅れ気味になっていったんです。
平気で1時間位遅れて学校に行く時もあって、それも十数回くらい。
それでその日も9時過ぎに家を出たんですけど、
…で、まあ仕方ないから、「学校行きたくないなー」という気持ちを抱きながら、
取り敢えず学校に向かって歩いていたんです。
それで校門が見えてきて、そうするとなんか「学校行きたくないなー」という気持ちが強くなってきて、
でも俺は学校に向かって歩いてるから、徐々に校門が近づいて来るんですね。
それに比例して俺の「学校行きたくないなー」という気持ちも強くなってきて、
そしたら頭がズンと重くなっていって、なんか心臓の鼓動も早くなっていくんですよ。
その時ふと、「このまま道を歩いていれば学校に行かなくて済むな」と気が付いて、
でも俺は学校に向かって歩いているから校門がどんどん近づいてくるんだけども、
そのうちになんか、「校門をくぐって学校に行く」と「このまま道を歩く」の2つの選択肢が、
俺の頭の中で交互によぎるようになってきて、
そのスピードが校門に近づくに連れて加速していき、頭が真っ白になっていったんです。
それでなんか俺はもうわけがわからなくなっていたんだけれども、
もうすでに目の前に校門が迫っていて、
それで、わけがわからなくなっていた俺の頭の中に「もういいや」という声が聞こえてきて、
俺は、校門をくぐらずに道を歩き続けたんです。
その瞬間、俺の体に電流が走り脳みそがスカッと晴れて、俺は開放感に包まれていました。
道を歩き続ける選択をした俺ですけど、
特に行くとこもなく、取り敢えず静江さんが仕事へ出かける13時位まで歩き続けようと思い、
それで実際、近所を意味もなく5時間位歩き続けました。
2回目以降サボる時は特に開放感もなく、
そして、流石に8時位から13時位までの5時間を歩き続けるのはきつすぎるので、
歩きながら、どっか休めるとこはないかと考えました。
それで、ゲームセンターや図書館みたいな人のいるところは普通の状況でも1人では行けないのに、
中学生が居たら違和感がある時間に制服を着たまま行けるわけ無いし、公園とかも人が来るし、
家の裏とかも見つかる可能性もあるしと、そんな風にして歩きながら考えていたら、
ふと、「お墓なら人が来ないなー。」と閃き、歩き疲れたらお墓で時間を潰していました。
おーがんばれがんばれ
その書き込み全部がコピーされた紙がつないでるサービスから送られてくるから楽しみに待ってるんやで(報告済み)
そこが道路から死角になっていて、俺はそこに座って学校をサボっていました。
最初にお墓で時間を潰した時は凄い緊張しました。
でも、2回3回と回数を重ねる内に慣れてきて、家から持ってきた携帯ラジオでラジオを聞いたり、
CDプレイヤーとゲームボーイアドバンスで時間を潰していました。
でも大抵ラジオを聞いて時間を潰していました。
お墓でサボっている時は、
俺は確かにこの世界に存在してるけど、本当にこの世界に存在しているのか実感が持てない、
不思議な感覚に包まれていました。
あと、幼稚園に通っていた1992年〜1994年位の頃を思い出していました。
多分その時代が、俺が人生を楽しめていた唯一の時代なんでしょうね。
それと、小1くらいの時に健さんと夜に公園とかで遊んだ楽しい記憶も、思い出していました。
俺は学校をサボるためにお墓にずっと居たけども、
数回くらい、若いサラリーマン?に見つかったこともありました。
なんか、俺がお墓の階段に座って時間を潰していると、
階段を登る足音が聞こえてきたんです。
俺は「やばい!」と思いながらも恐怖で身動きが取れなかったので、
咄嗟に寝たふりをしたんです。
その時その若いサラリーマン?は、「サボりか・・・」と呟いていました。
二回目以降は無言でした。
学校をサボるくらい学校が嫌いだった俺にも、学校に溶け込めたと思った瞬間がありました。
それは、給食の時間の時です。
俺はその時給食委員だったんだけども、
玉谷くんが俺に給食当番の事で質問して来たことがあったんです。
俺はその時に、「俺が給食委員だから、玉谷くんは俺に話しかけたんだな」と気が付くことが出来て、
その時だけはとても自然に玉谷くんと会話する事が出来たんですね。
きっとこれが、俺が初めて中学校に溶け込めた瞬間だと思います。
その様子を担任の先生は見ていたようで、
通知表に「仁くんも給食委員の自覚が出てきて・・・」ということを書いていました。
俺はそれを見て萎えた記憶があります。
★学校行事のこと。
入学式は覚えてないけども、新入生歓迎会みたいな行事があったのを覚えてます。
それでなんか 2,3年生が歌う大地讃頌に感動したのを覚えてます。
あと、運動会が体育祭になったのは覚えてるけど、
具体的に何をしたかとかは全く覚えてないです。
…確かなんか、紅白帽子じゃなくて鉢巻巻いてた気がする。
あと、クラスごとの音楽コンクールが毎年開催されていて、
なんかそのためだけに、どっかのホールを貸しきってた気がする。
あとなんだろう。毎年どっか修学旅行的な学校行事があったけども、
中1中2の時は、乗り物酔いをするからという理由で行かなかったな。
でも中3の時は、なんか嫌々飛騨高山に2泊3日くらいした覚えがあるけど、
楽しかった覚えは全く無いです。
あと、中3の2学期くらいに、
進路のことを先生と俺と保護者で相談する三者面談がありました。
3者面談自体は毎年あったけど、印象に残ってるのがその時の三者面談です。
…で、そのちょっと前に、進路希望票みたいなプリントが配られたんだけども、
要は、先生が生徒の希望する進路を把握するためのプリントです。
俺は、進路とか全く考えてなかったので、
進路希望表になんとなく「職人」って書いたんだけども、
俺の列の1番後ろの席に座っている鈴木くんが進路希望表を集める時に、
俺の進路希望表を見て「職人って・・・」と呟いていて、
俺は恥ずかしかったです。
でも今考えてみると、とても現実的に進路を考えていたなと思います。
何故なら、家が貧乏で尚且つ頭の悪い俺が安定したお金を稼ぐためには、
手に職を身につけるしか無いからです。
…で、三者面談の前に、俺と先生の2者面談?があって、
その時に俺は、「でも別に高校なんて行かなくても大学行けますよね〜」というようなことを、
ヘラヘラしながら言っていたんだけども、
そしたら「いいから進路を決めろ!」と先生が怒鳴って、教室を出て行ったんですね。
俺は凄く驚いて涙目になったのを覚えています。
…で、まあ、そんなこんなで三者面談の日が来たんですけども、
基本的に俺は三者面談が嫌だったので、ぼーっとしていたんだけども、
その時になんか静江さんが、「最近の悩みは仁が食器洗いをしない事です」とヘラヘラ笑いながら言っていたことが、
なんか記憶に残っています。
なぜ俺が食器洗いをしないことが静江さんの悩みになっていたのかというと、
勇さんはよく俺に「仁が食器洗いしろよ」みたいな命令をしていて、
でも俺からすると、「ニート状態のお前がやれよ!」という感じなんですけども、当然そんなことも言えず、
それでなんか、食器洗いをあんまりしなかったんですね、俺。
だって面倒くさいし。
でも、俺が食器洗いしないと、
その度に勇さんがドンドンと床を蹴ったり、「あーーーー」と声を出したりして、
…要は凄く苛ついてるんですよ。
俺、それが怖くて怖くて、それでなんかもう食器洗いのことを考える度にその恐怖が呼び覚まされちゃって、
食器洗いするのが怖くなっていったんです。
あとあれもある。
食器洗いするためには台所に長くいないと駄目だけど、
その時に、勇さんが自分の部屋から出てきて、俺と勇さんが同じ空間にいる状態になるリスクがあって、
その時の気まずさを考えると、食器洗いをする気になれなかったんです。
あとそもそも、ニート状態の勇さんがやればいいのに、何で俺にやらすのかが、
全く理解できなかったのもある。
それでなんか勇さんはよく静江さんに、俺が食器洗いしないことに文句を言っていたんですね。
だから静江さんは俺が食器洗いしないことに悩んでいたんだけども、
そんなことを言われた先生は凄く困っていました。
だって、俺の進路を相談する三者面談ですからね。
それで、卒業式の思い出はないです。
なんか卒業式が終わったら、1人でそそくさと帰った覚えがあります。
食器洗いするためには台所に長くいないと駄目だけど、
その時に、勇さんが自分の部屋から出てきて、俺と勇さんが同じ空間にいる状態になるリスクがあって、
その時の気まずさを考えると、食器洗いをする気になれなかったんです。
あとそもそも、ニート状態の勇さんがやればいいのに、何で俺にやらすのかが、
全く理解できなかったのもある。
それでなんか勇さんはよく静江さんに、俺が食器洗いしないことに文句を言っていたんですね。
だから静江さんは俺が食器洗いしないことに悩んでいたんだけども、
そんなことを言われた先生は凄く困っていました。
だって、俺の進路を相談する三者面談ですからね。
それで、卒業式の思い出はないです。
なんか卒業式が終わったら、1人でそそくさと帰った覚えがあります。
ただなんか卒業間近の時に、同級生の狩俣くんに対して、
「お前がこういうキャラ(声を出さない)だということはみんな昔から知ってるからいいけど、
高校入ったらどうすんの?」と言ったのを覚えてます。
狩俣くんは図星を付かれたような反応をしていたけども、
俺は狩俣くんに、酷いこと言ったと思います。
★家族のこととか。
静江さんは、13時くらいに駅の清掃員の仕事に出掛けて、24時位に家に帰ってきてました。
勇さんは中卒ニートでした。
…要はその、健さんが自殺したあとの家族の状況と、あんまり変わらないんですよ。はい。
それで変化したこと言ったら、俺が小学生から中学生になったことくらいですね。はい。
ただまあ、俺の精神はどんどん闇属性になっていったけども。
それでまあエピソードと言ったらその…、
ある日、突然勇さんが俺の扉を開けて、「ドラゴンボール読みたい?」と俺に質問してきたんですよ。
俺は突然のことにびっくりして唖然としてると、「読みたくないの?」とまたしつこく質問してきたから、
「じゃあ読みたいです。」と俺が言ったら、
「20巻くらいは買ってあるからあとは仁が買ってきてw」と言ったんです。
…恐らくその、2003年くらいの時期に、
夕方にフジテレビでドラゴンボールの再放送がやっていたんですけども、
それきっかけで勇さんはドラゴンボールの単行本を読みたくなって、
だから自分でコツコツ20巻くらいまで集めたんだろうけども、
途中から面倒くさくなって、俺に買いに行かせたんだと思います。
お金はどうしていたのかというと、
たまに静江さんが飲み物代として、1000円札を台所にあるテーブル上に置いていくことがあって、
そのお釣りで単行本を買っていたんです。
だから、俺が学校から帰ってきて、それで台所にあるテーブルの上に1000円札が置いてあるのを見つけると、
俺が飲み物も単行本も買わなくてはいけないので、凄く憂鬱でした。
だって、外に着て行っても恥ずかしくない服なんて、ガチでなかったし。
…まあそれでも俺が買いに行かなければならないので、
小学生の時に着ていた服を着て、嫌々買いに行っていました。
…で、飲み物を買うときは顔をなるべく覚えられないように、
近所に2店舗あるヤックスとトップマートの3つの店をローテーションして買っていました。
単行本も同じ店で買うと顔を覚えられる可能性があるので、
なるべくバラバラの店で買おうと思い近所の本屋に行ってたんですけども、
…その、単行本数巻をレジに持っていった時に、
「今ドラゴンボール再放送してるからw」という店員同士の話し声が聞こえてきて、
もうここでは絶対変えないなと思ったのを覚えています。
ちなみに、ドラゴンボールの単行本は俺が幼稚園生の頃にもあったけども、
でも全巻揃ってなくて、巻数も飛び飛びで1巻〜5巻あったら次は10巻で14巻みたいな感じで、
しかもそのコミック自体もボロボロな状態のもあったから、
つまりは、その時に初めて俺はドラゴンボールの単行本を全巻読みました。
…あとに似たような思い出だけど、
中2か中3の夏休みの時に、千と千尋の神隠しのレンタルビデオを返しに行った覚えがあります。
…えーと、その概要を説明するけども、
突然勇さんが俺の部屋の扉を開けて、「千と千尋の神隠しみたい?」と質問してきて、
その時は俺は「別に見たくない」と言って、それでなんか勇さんは妙に食い下がってきたんだけども、
諦めてドアを締めたんです。
その後に、なんかどんどん俺は千と千尋の神隠しが見たくなってきて、
勇さんの質問に断ったことをちょっと後悔したんですね。
それで、じゃあ何で勇さんは「千と千尋の神隠し見たい?」と俺に質問してきたんだろうと考えて、
恐らく勇さんは、千と千尋の神隠しのレンタルビデオを返すのが面倒になったから、
俺に返しに行かせる目的で言ってるんだなと気が付き、
だからまたどうせ質問してくるだろうと思い…で、案の定だったんです
ちなみに、ドラゴンボールの単行本は俺が幼稚園生の頃にもあったけども、
でも全巻揃ってなくて、巻数も飛び飛びで1巻〜5巻あったら次は10巻で14巻みたいな感じで、
しかもそのコミック自体もボロボロな状態のもあったから、
つまりは、その時に初めて俺はドラゴンボールの単行本を全巻読みました。
…あとに似たような思い出だけど、
中2か中3の夏休みの時に、千と千尋の神隠しのレンタルビデオを返しに行った覚えがあります。
…えーと、その概要を説明するけども、
突然勇さんが俺の部屋の扉を開けて、「千と千尋の神隠しみたい?」と質問してきて、
その時は俺は「別に見たくない」と言って、それでなんか勇さんは妙に食い下がってきたんだけども、
諦めてドアを締めたんです。
その後に、なんかどんどん俺は千と千尋の神隠しが見たくなってきて、
勇さんの質問に断ったことをちょっと後悔したんですね。
それで、じゃあ何で勇さんは「千と千尋の神隠し見たい?」と俺に質問してきたんだろうと考えて、
恐らく勇さんは、千と千尋の神隠しのレンタルビデオを返すのが面倒になったから、
俺に返しに行かせる目的で言ってるんだなと気が付き、
だからまたどうせ質問してくるだろうと思い…で、案の定だったんです
それでまあ、千と千尋の神隠しを見て、そのビデオをレンタルビデオショップに返しに行ったんだけども、
俺、真夏の昼間に外に出ることなんて数年ぶり位の事だったから、
真夏の昼間の明るさに感動したのを覚えています。
俺が高学生だった頃のこと
2004年4月〜10月
★基本的な俺の生活のこと
あんまり、中学校時代と変わらないです。
基本的に、平日は朝起きて高校に行って家に帰ってきて、
家に帰ってきてからは、勇さんに気を使ってひっそりとテレビとかゲームをとかしてました。
それで眠くなったら寝るという生活をしてました。
あと、バツラジと月曜ジャンク火曜ジャンクを聞いていました。
休日の日も、勇さんに気を使いながらひっそりと基本テレビとゲームです。
それで、土曜の深夜はこむちゃっとカウントダウンと田村ゆかりいたずら黒うさぎを聴いて、
日曜日の昼間は、日曜日の秘密基地を聴いていました。
★高校生活のこと。
…まあ、ちょっと中学校の頃に遡るけども、
自分の置かれている現実を認識しないようにしていた俺でも、
中3の2学期も過ぎると、中学校を卒業しなければいけない事と、
進学する高校を決めなければならないという事に現実感が湧いて来たんですね。
でも自分の進路について考えたことがなかったし、相談相手もいないので、
不安感と焦燥感が混ざった感情が俺の脳内を支配していたんです。
そんな時に、野海くんという俺がまだ会話できる中学校の同級生が農業高校に進学するということを耳にして、
野海くんと同じ農業高校に進学にしようと思いました。
中学3年生の時にはもう、自分の人生に夢も希望も抱いてなかったので、
こんないい加減な理由で進学する高校を選んだんですね。
だからなのか、半年で中退するんだけども。はい。
中学校の頃と一番変わったことは、
通学に自転車と電車を使うことになったことです。
…で、これもちょっと中学校の頃に遡るんだけど、
農業高校の通学には自転車を必要だから、
2年くらい乗らずに放置していた自転車の状態を調べたんですね。
そしたら自転車のタイヤが両輪パンクしていて、
仕方ないから自転車屋にパンクを直しに行ったんですよ。
それで自転車屋に着いたらなんか、店主とその友達と思われる数人のおじさんが雑談していたんですね。
俺はちょっと嫌だなと思いつつも、「パンクを直して欲しい」という事を店主に伝えたら、まあ直してくれたんだけども、
その時に自転車の両輪がパンクしていたから、
俺が虐められて自転車両輪をパンクさせられたみたいな対応をされたので、
なんかすごく不快だったのを覚えてます。
…で話を戻すけども、早朝に自転車で駅に向かうのは、凄く気持ちよかった記憶があります。
その時に俺、クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズの主題歌「○あげよう」をよく口ずさんでいたので、
その曲を聞くと、当時の感覚がおぼろげながら蘇ってきます。
車に乗っている時は、
「この人はこの駅で降りるんだよな」とか「またこの人がこの駅から乗ってきた」みたいなことを思いながら、
電車に乗っていました。
目的の駅から歩いて高校に向かう時は、特に何も考えていませんでした。
…あとそーいえば、通学途中か帰宅途中かは記憶に無いけど、
1度だけ「こいつ◯◯農業高校に通ってるww」的な感じに馬鹿にされたことがありました。
その時は俺は、逃げる様に立ち去りました。嫌な思い出です。
きっと俺のことを馬鹿にした人は、幸せな人生を送っているんでしょう。悲しくなります。
でも確かに俺の通っていた農業高校は、馬鹿な俺が優等生になるくらいのバカ高校だったので、
馬鹿にされても仕方ないと思います。
だから泣き寝入りします。
高校は給食がなかったから、静江さんが朝起きてお弁当を作ってくれました。
でも恥ずかしかったので、高校の購買やコンビニで弁当を買って食べていました。
何故買えるお金があったのかといえば、静江さんが毎朝500円位置いてくれたからです。
静江さんの作ったお弁当は、家で食べていました。
高校は半年ぐらいで退学しました。
退学した理由は、まあ、良くわからないです。
とにかくなんか、精神的に限界だったんでしょうね。はい。
別に中退しても何の開放感もなかったし。はい。
俺が引きこもりだった頃のこと
2004年10月〜自殺した日
2004年10月に農業高校を中退して、俺は引きこもりになりました。
でも、引きこもりになっても、別に絶望感はありませんでした。
それは多分、1999年5月に自殺した健さんも基本的に中卒ニートだったし、
勇さんも1998年に中学を卒業してからは、基本的にずっと中卒ニートだったから、
俺も、健さんや勇さんたちみたいになるんだなと、幼稚園くらいの頃からずっと無意識に思っていて、
だから引きこもりになっても、絶望感に包まれる感じはなかったんでしょうね。
…でも、引きこもりになった当初は、
静江さんが保護者としての行動を起こすかもしれないという不安もあったけど、
健さんや勇さんのニート引きこもり状態を放置していた静江さんだから、
どーせ保護者としての行動は起こさないだろうと楽観視していました。
それで実際静江さんは、保護者としての行動を起こしませんでした。
引きこもりになった当初の俺は、
する気はないけど「バイトぐらいはしないとなー」と思ったこともあって、
だから無料のバイト情報誌を、近所のセブンイレブンまで取りに行った事もありました。
俺は色んな劣等感を抱いてるので、コンビニバイト情報誌を取りに行くだけでもほんと大仕事で、
だから、何日も前に頭の中で計画を立てていました。
それで「この日に取りに行くぞ!」決心して、その日が来るのをドキドキして待っていました。
その日が来て、まず俺は、俺の姿は変じゃないと思い込むために自分の姿を鏡で何度も何度も1時間くらい確認して、
そして大丈夫だと思い込んで、それから俺は、平屋の家に住んでいることにも劣等感があるので、
俺が平屋の家から出てきたことを誰にも見られてないことを祈りながら、決死の思いで家の外に出ました。
外は夕方だったと思います。
それは、夕方は薄暗いから自分の存在が目立たなくなると思ったのと、
16歳の男が外にいておかしくない時間帯だから、夕方に取りに行ったんだと思います。
えーとそれで、数分くらい歩いてセブンに着いて、店内へ入りました。
その時に俺は、出入口の近くにあるコピー機の近くに無料冊子が沢山ある所を発見し、
そこに無料のバイト情報誌があるだろうと予想しながら、まず雑誌コーナーに向かいファミ通を手に取って、
その次に飲み物コーナーに向かいコーラかなんかを手に取って、
最後に菓子パンコーナーに向かいメロンパンかなんかを手に取って、レジに向かいました。
会計が終わり、俺は出入口に向かい、出入口の近くにコピー機の近くにある無料冊子が沢山ある前で立ち止まり、
目的の無料のバイト情報誌を急いで探し、手に取りました。
その瞬間、「ここバイト募集してたよね?」と言う店員のおばさんの声が俺の耳に聞こえて来ました。
俺は、全く予想していなかった出来事に脳みそがズンと重くなり景色も歪んで、
でも咄嗟に、変に反応すると店員のおばさんが俺に話しかけてくるかもしれないと思い、
俺は無反応でいることだけを意識しながら、外へ出ました。
そしてそのまま家に帰りました。
バイト情報誌はパラパラめくることはあったけど、勿論バイトはしなかったです。
それでじゃあ今度は、俺がどんな感じで引きこもっていたかを説明するけども、
俺が自分の部屋以外に居れる時間は、静江さんと勇さんが居ない時間だけなので、
…まあただ、引きこもり始めた当初は、別に言うほど静江さんと会うことは気まずくはなかったけども、
だって、同じ部屋で寝ていたし。
だけど基本的には、朝は静江さんが起きてくる前にまず風呂に入り、
その後台所でホットーケーキを作って食べていました。
それでデザートはヨーグルトでした。
ちなみにそのホットケーキミックスとヨーグルトは、
1週間に1回くらいのペースで自分で買っていました。
それで静江さんが起きてくる前に部屋に戻って、
確か夏でもダウンジャケットを着てフードを被り、イヤホンを使ってテレビを見ていました。
何故そんなことをしていたかというと、静江さんに自分の顔を見られるのが嫌だったのもあるけれど、
とにかく、6畳2間の狭い家にずっと住んでいたから、俺のプライベート空間など全く無く、
だから俺にとって、ダウンジャケットを着てフードを被ることが、
自分のプライベート空間を守るために必要だったんでしょう。
…なんていうか、「ダウンジャケットの内側は俺のプライベート空間だ!」的な発想です。
それで静江さんが仕事に出掛けてからは、家には俺と勇さんだけになるんだけども、
それで勇さんは、初期の頃は17時位に起きてきて、2006年くらいからバイトを始めたんですけども、
そのバイトも確か夜型の仕事だったから、
とにかく俺は、15時くらいまでにはお昼ごはんと歯磨きとうんこを完全に済ましていました。
それで夕方は、勇さんが起きてるかバイトに出掛けているかのどちらかなので、
まあバイトの時は23時位まで帰ってこなかったんだけども、
家にいる時は、勇さんが自分の部屋にいることを確認しながら、トイレとかに行っていました。
それでまあ、眠くなったら寝るという生活をしていました。
…で、勇さんが出て行ってからは、
俺は不規則な生活になったので、あんまり書けることがありません。
本当に、寝る時間とか起きる時間がバラバラになったからです。
ただまあ、静江さんが仕事に行くために準備する8時半〜10時くらいと、
仕事から帰ってくるであろう深夜24時以降は、
絶対に自分の部屋でおとなしくしています。
何故なら静江さんと会うのが気まずいからです。
…あとあれです、虫歯だけにはなりたくなかったので、歯磨きだけは毎日していました。
2007年の10月に一気に飛びます。
その時期に、深夜アニメを本格的に観ようと思いました。
恐らく何もすることがなくて、ネット上のアニメの話題についていけるようにしたのだと思います。
アニメの時間を知るために、PSPで他人の家の無線LANでネットに繋いで、
アニメの放送時間を全部把握していました。そしてとりあえず深夜アニメの1話は見るようにしました。
ちなみに、2010年の10月まで俺の家にはネット回線がなくて、
だから、ネットというものに劣等感を抱いていたんだけども、
恐らく2006年くらいだと思うんだけども、適当にPSPを弄っていたら隣の家のWi-Fiでネットに接続できて、
脳に衝撃が走るくらい嬉しかったのを覚えています。
…で、俺は恐らくアニオタ気質な人間なんだろうけども、
だってなんか、俺が小5の時に始まったカードキャプターさくらにドハマリして、
ビデオに録画したカードキャプターさくらのアニメを何度も見たりしていたし、
2002年くらいからラジオを聴くのに嵌って、
それで、こむちゃっとカウントダウンとか田村ゆかりのいたずら黒うさぎとか聞いていたし。
深夜アニメも、2002年4月に始まったりぜるまいんとか見ていて、
それに衝撃を受けて、ちょくちょく深夜アニメも見ていたし。
ただ、家庭環境が原因なのか何なのかはわからないけども、
2010年の4月に完全にアニメに飽きたんです。
…でも、これは黒歴史なんだけども、
2008年くらいに、取り敢えずアニオタになるには涼宮ハルヒを見なきゃでしょと思い、
決死の思いで秋葉原までdvdを買いに行くくらいの努力はしたんですよ。はい。
でも、完全に俺の黒歴史です。死にたいです。
2008年くらいに、勇さんが家を出ました。…はい。
勇さんは2006年くらいに警備員のバイトを始めていたんだけども、
それはまあ、勇さんが自発的に始めたバイトじゃなくて、
勇さんの友達が家にやってきた事があって、それきっかけでバイトをし始めたんだけども。
それでまあ、勇さんがバイトに出掛けている時に、良く勇さんの部屋に忍び込んで、
オナニーのおかずを探していたんだけども、まあ、それはいいか…。
勇さんが家を出たきっかけを作ったのは俺なんですね。
…その、恐らく2008年の時って俺が20歳になった時の年なんだけども、
成人したという焦りから、なんか常にイライラしていたんですよ。
それで、そのイライラがピークに達した時に、やけくそになって勇さんの部屋の扉を開けたんです。
そしたら勇さんは「うおぉぉぉー!」と声を上げて驚いたんですけども、
俺が「自立しないの?」と勇さんに言ったら、「ん〜・・・ちょっと待っててw」と勇さんがヘラヘラしながら言ったんですね。
俺はそれにカチンと来て、「殺しちゃうかもしれないから自立して」と言ったんです。
そしたら勇さんは真顔になって、渋々といった感じで了承したんです。
その日の夜、勇さんは「仁に、自立しないと殺すっていわれた。」みたいなことを静江さんに言っていて、
静江さんはなんか、「冗談だから大丈夫だよ」とか「20歳になったからイライラしてるんじゃない?」みたいな、
間の抜けた事を言っていました。
…で、その出来事から大体3ヶ月くらいかな?
勇さんは家を出て行きました。
だから今までは、俺は同じ部屋で静江さんと寝ていたけども、
2008年位に初めて、一人で部屋で寝ることになりました。はい。
勇さんが出て行ったことによって、俺の精神がだいぶ楽になりました。
なぜなら俺は、ずっと勇さんに気を使って生きていたからです。
でももう、感情を表現することが出来なくなっていたので、
基本的には今までどおりひっそりとしていました。
ただなんか、独り言を言うようになりました。
それで、勇さんが家を出て行ったすぐに静江さんに頼んで、
畳を変えてもらったんです。
何故かと言うと、俺が引きこもり始めて半年くらいしてから、
布団(と言っても掛け布団とかを重ねたやつ)を敷いて寝る時にちょうど腰に当たる部分の畳が腐って、
ボコっとへこんだんです。
一応、その部分にバスタオルを畳んだものを敷いてフォローはしたんですけども、
そんな腐った畳の上でずっと寝ていたから、俺の骨格がありえないくらい歪んだんですよ。
だいぶ直ったとはいえ、2016年の今でも歪んでいますからね。
そこまで骨格が歪んだ原因は、恐らくその…、
骨格が歪み始めた時に俺、べルト3本くらいで足を固定して寝ていたんだけども、
それは、そうすると骨格の歪みが矯正すると思ってした行動なんだけども、
多分それが原因で、ありえないくらい骨格が歪んだんでしょうね。
だって、普通に立っているだけども辛かったもん。はい。
それで畳を変えたあとに、通販雑誌を本屋で買ってきて、
マットレスと掛け布団と枕を注文しました。
8年くらい使っています。
一度も洗ったことはないけども、起きる度にファブリーズ的なものはかけています。
あと、枕と掛け布団はちょっと前に捨てたからないです。
…俺は、今はPS4しか持っていないけども、
前世代機のPS3とwiiと箱360は、全機種持っていたんです。
一番最初に買ったのは確か箱360で、
なぜ買ったのかといえば、ブルードラゴンがやりたかったから買いました。
確か中古で買ったんだけども、同伴版のやつを買いました。
それで、そのちょっとあとに液晶テレビを買ったんですね。
大体、2007年12月くらいの話です。
それでwiiは確か428が欲しくて買ったんだけども、
それで428の発売日が2008年12月4日だから多分、
その時期に両方新品で買ったんです。
それで、2009年の9月1日からwiiのインターネットチャンネルが無料になったんですよ。
だから俺、初めてまともにYoutube見れて嬉しかったんです。
今まではその、PSPでWi-Fiをタダ乗りしてネットに繋いでいたけども、
Youtubeの動画とかはその、ダウンロードしないと見れなかったんだけども、
ダウンロードしても「対応してない動画ファイルです」みたいになって、
見たいYoutube動画の全てが見れなかったんです。
だから、wiiで無料でYoutubeとかが見れるようになって、ほんと嬉しかったんです。
それで、1週間くらいはwiiでYoutubeとかを見ていたんだけども、
画質がボケボケ何ですよね。wiiはsd画質だから。
だからその、PS3ならもっとくっきりにYoutubeが見れるんじゃないかと考えて、
wiiのインターネットチャンネルが無料になった一週間後くらいに、PS3を買ったんです。
(…ちなみに箱360は買って2ヶ月位で壊れたから、Youtubeが見れたかどうかとかは試してないです。)
…でやっぱ、PS3だとくっきりYoutubeが見れて、
wiiを起動することがほぼなくなりました。
…まあそれだけです。
2010年の1月くらいの出来事だけど、元さんが家に来ました。
普段お母さんは11時頃に起きるのに、その日は12時過ぎても起きてこないから、
今日は静江さんの仕事が休みの日何だなと悟り、俺は憂鬱でした。
だって、俺の住んでいる家は狭いから、
お互いの物音が筒抜けになるんですけど、それが嫌だったんです。
あと、ずっと家に静江さんがいると、
俺が台所とかトイレとかに行けるのは、静江さんが部屋にいる時だけだけども、
そういう気を使うのが嫌だったんです。
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