普通に日本語で話していてこれだけ噛み合わないのですから、
そこへ言語の問題が加わったら、通じなくて当たり前なのかも
しれませんね。
いや、むしろ積極的に、本質は言語とは違うところにあるのかな。
たとえ小さな部分を切り出して会話が成立しているように見えたとしても、
背景として存在する流れの中で意図するところが食い違っているならば
結局そんなものはワードサラダと大差ないわけで、その影響を考えれば
無意味な文字列よりタチが悪いです。
話が通じないということ自体よりも、通じてないと認識されない
ことの方が、結果に与えるダメージは大きいんじゃないでしょうか。
せめてその認識を共有できたらいいんですけど。