小説に対して
官能小説はセックスを描かなければならない
その中でも母子相姦小説はクライマックスで
母親とセックスしなければならない

スタートとゴールはそれなりに変化をつけれても、
必ず似たような地点を通過しなければいけないのは、
ストーリー構成上の大制約
  
だから多作すると、展開力にしても文章表現力にしても
普通の小説家より、枯渇しやすいんだと思う。
 
逆にその中で、
黄金ストーリー・表現の鉱脈を当てた作家(作品)は
いつまでも語り継がれる。