ショタコンなりたての中高生の頃は、おねショタをガチで嫌悪してたわ
女性に相手されない男が、「ショタになれば無条件に愛されるだろう」と妄想の世界に逃げるためのコンテンツだからね。今思うと、それはそれで好きな人がいても住み分けてれば全然いいんだけどさ。
でも、「ショタ」の要旨も意図的に不細工に書かれていたり、顔がわからないように前髪を長く書いていたりするのは本当に気持ち悪い。
そこまでしないと自己投影できないのかよ。悲惨だな、自分がショタより劣っているということを受け止められないんだろうな。やっぱり思い出したら久しぶりにイライラしてきた。
ショタ主役で、ショタを魅力的に書いてる作品は私としてはありだけど、そういう作風で今のところ知ってる人は一人しかいない。その人もショタホモをメインに書いてるんだけど、やっぱりショタを書こうとなるとわざわざ相手が女である必要あるのか?って思うことが多いよね。