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「それにもし万が一、亀千代様の御子を授かるようなことがあれば、弥四郎殿は鷺浜の親類縁者。岡元のお家も安泰というものですよ」
艶やかな口元に手を添え、他愛もない悪戯を思いついた童女のような顔でさも可笑しそうに、ふふふっと志乃が笑う。

だがその言葉の意味するところを考えると、つられて笑う気にはとてもなれない。

・・・・・・母上の腹に・・・・・・亀千代様の御子・・・・・・。

身重となった母の姿を夢想すると、胸中の靄がより一層濃度を増し、弥四郎の心を覆う。

「もちろん母にも、新三郎様へ操を立てられぬことを恥じ入る気持ちはあります。なので亀千代様にお仕えする間、決して母の寝所には近寄らぬよう・・・・・・よいですね?弥四郎殿」
無邪気な笑顔を止めると、ほんの僅か、整った眉の根を寄せ、困惑したような微笑みを浮かべる志乃。

真っ直ぐ自分を見つめるその瞳に、いつも気丈な母の弱さを初めて垣間見たように感じられた弥四郎は、ただ黙って頷くしかなかった。

「さあ、この話はこれぐらいにして、少し早いですが夕餉にしましょう。折角の温かいおままを冷ましてしまうのは勿体ないですものね」
そう言って困惑の面持ちを消した志乃は、項垂れる息子の手を取り優しく包み込むと、労わるように出来立ての夕餉へと誘った。