事件、というほどのことはないささやかな騒ぎが起こったのは、それから数日後だった。午前中の畑・午後の田んぼという
この時期のルーティンワークをこなし典生も居間でうとうとしていた頃。庭から、最近聞こえていなかった哲生の怒鳴り声が
連続して響いた。典生が何ごとかと玄関を出ると、前の道を近所の男衆3人が駆けてゆくのが見えた。その後を、例の黒ジャージの
哲生が、こちらの方言ではない金切り声を上げ追いかけていた。金属バットを持って。部落内での揉め事は避けたいと、
典生は哲生を叱ろうと玄関を出ようとした瞬間、哲生に百々子が慌てて駆け寄って来たのが見えた。
「どうしたんね、哲生!」
「あいつら、殺したる」
「……なんでーもう。そんなこと言ったらダメやぁ」
「覗きよったんだ、あいつら。着替えるとこを」
ああ、と典生は気づく。農作業が終わると、大きな汚れは納屋の前ではたき落とし、そのまま一番近い夫婦の寝室に窓を開けて入る。
離れのようになっているそこは母屋から見にくく逆に前の道から誰かが入るのが見える。今日は少し疲れた、と野良着のまま寝てた
百々子が着替え始めたのを、男衆はたまたま見つけて覗いたのだろう。
「殺したる」
「やめて哲生、母さんなんとも思っちゃない」
「それが許せん」
「なんでー」
「俺は許せん」
百々子が必死で矛を収めようとしてるのにはわけがあった。典生のように騒動を避けたいというのもあるが、こういった「覗き」は
今回が初めてではないからだ。百々子が『中更鶴の宮崎◯子』からこの家の嫁になった時から、たまに起こっていた。
『また〇〇さんと××さんに覗かれたわぁ。もう、嫌やねー』……そう言いながら百々子は少し嬉しそうだった。別に全裸を見せびらかした
わけでもなく、夜の夫婦の営みの際は庭の砂利の音ですぐわかる。広い畑や田を部落の皆に手伝ってもらいそれを相互で行う農家にとって
ささやかな色事は「許容範囲」であったし、この地区で育った百々子にとっても笑い飛ばしてきたイベントであるはずだったのだ。