>>37
そういう意味では今までで一番ゲスかったのは「僕だけがセックスできない家」。特にスピンオフは作者がクソすぎた。
本編では何の罪もない善良な主人公から友人も居場所も奪ったクズ四人の誰も後ろめたさすら感じた形跡がない。
これは、欲しいものを手に入れるために人を、兄弟や友人のような近しい人間でさえ傷つけ排除してもよい、弱いものが奪われるのは当然という野蛮で下劣な価値観の表明。
それを非難され主人公の救済を求める声の中出てきたスピンオフは、よりによって本編主人公にとどめを刺した朝陽が明るい未来を手に入れるという更に醜悪な話だった。
本編で終わっていれば四人は救いようのないクズだからそこから離れた主人公は正しかったという解釈も成り立った。
しかしスピンオフは、朝陽に一旦罪悪感を抱かせて改善の余地があると思わせてから「よくあることだから気にする必要はない」と名前も顔もないモブ主人公に言わせて改善せず終わった。
これは上記の本編価値観に「贖罪も罪悪感も不要」を加えて再肯定するものだ。
更に、告白し慰めただけのモブ主人公に朝陽がすぐに体を許したのは、最初に行動できず最後に朝陽をとがめた本編主人公を再度否定し貶める表現だ。
クズはクズ同士くっついていれば良い、いずれ朝陽と芽衣は痛い目を見るという解釈もできないよう、朝陽を兄弟から切り離して何も知らないモブ主人公がありがたがる構図を作り、モブ主人公すら貶めている。
スピンオフはクズ四人の評価への悪影響を避けるために被害者欠席の裁判で朝陽を無罪にし、結果朝陽を史上最低のヒロインとしそれが覆る可能性はなくなった。
まとめると、弱いものから何もかも奪った上に、顔も存在もそして被害者性や正当性まで否定し奪おうとしたのがこのスピンオフの本質であり目的。
この漫画は読者を傷つけるために書かれたらしい。作者のような人格が存在するという事実に感じた不快感、嫌悪感、怒りを傷ついたと表現するなら、まさに「傷ついた」。
最後に朝陽の本性を見たとき、本編主人公も似た感情を恐怖とともに抱いただろう。
しかし、顔も存在も、朝陽の微かな罪悪感という最期の絆も奪われ、朝陽の中からも消えた彼が救われることも報われることも立ち上がることも声を上げることももうない。
だからせめて読者として、時々かわいそうな「城戸君」のことを思い出して書き込もうと思う。