0060名無しさん@ピンキー2025/10/13(月) 19:20:31.21ID:F58QYdOl さて、今回の話だけれども 前回の話との明らかな矛盾点がある バャハーンギール=アーガー・ピールハンマド政権が三師団宛行状を受諾したのが 帝国歴一〇八〇年三月二十四日であるという衰亡記の記述だ 実際には二十二日に受諾が決定され、調印が行われたのが二十三日 これは一体なにを意味するのか カゲシン政権側がいろいろあがいた結果、1日遅く受諾したということにすることに成功した? そして後世には二十四日受諾と伝わっている… ということなのか