誰かが炙り出されたか炙り出されてないか
誰かが傷ついたか傷ついてないか
それは行為の延長線上に待ってる結果でしかないし、
あるいはその一方の結果をもってして、誰にも実害が及んでいないんだからいいだろって擁護している状況なんだよね

またあるいはその他方の結果っていうのは、回りまわってショタスクの解体に寄与し得る、破滅へと導き得るわけで
つまりこの度のriの行為は非ショタスク派視点にとってアドだから
手厚い賞賛ならびに正当化の援護射撃を受けてるってことなのかな

逆も成り立つかどうかはわからないけど、フラットな視線を欠いてるんだよ