言うまでもなく既成左翼は規制反対派寄りの人たちである。
サンダースになれなかった宇都宮健児と左翼の終焉
https://t.co/qDhJD4dYEv
「左翼の終焉」とは、野間易通氏の新著の副題から引用した。?3.11以降、日本で見られた急激な市民運動の発展は、まさに「左翼の終焉」とも言える。
旧来の「左翼」が担ってきた、あるいは目標としてきた役割は超党派の市民が担うようになった。旧来「左翼」はその一部に過ぎなくなったのである。
たとえば「革新懇運動」というものがあるが、彼らが目標としてきた運動は現在、市民連合がウィングを広げたうえで担っている。もちろん、その中のひとつの潮流として活動し続けることには意味がある。
そもそもこの市民運動は「多彩な人々の連帯」であり、そこに結集する人たちがまた別のグループを構成していても、全く不思議はない。
「雲」の中にも濃淡があり、濃い塊のひとつになる、というだけのことである。??その「雲」から外れたところにあるもののひとつが「左翼の墓場」である。
私自身は、思想的な左右で分けるなら「左翼」だと自認している。が、そもそも右翼も左翼もその定義は曖昧なものであり、右翼と呼ばれたこともある。「あなたからはそう見えるのだね」と受け入れるほかない。
左翼でも右翼でも、別にその人の価値を高めたり貶めたりする評価にはならない。自由に評価してもらって結構である。
そして、「墓場に埋もれた左翼」に、私は未練はない。
私はANTIFAであり、リベラルであり、そして「雲の一粒」である。