今の表現規制反対派の問題点にも通じるモノがあると(俺は)思う。
法華狼の日記
2016-10-20
▽[ネット][身辺雑記]慰安婦像に対してCalcijp氏とdokuninjin_blue氏はニーメラーの詩を歌えるか
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/mobile?guid=on&date=20161020
一部抜粋
ここで少しばかり興味深いのは、表現の自由を訴えているはずの人物が、自国の過去の加害を表象した作品に対しては権力による制約を許容する心の動きだ。
念のため、表現の自由を訴えている人物にそのような傾向があるとは思わない。普段から表現の制約を訴える人物が権力による制約を許容する比率は、おそらくはるかに高いだろう。
どちらかというと、表現の自由を求める立場であっても、自分が好まない表現には冷淡になる心情から逃れることは難しい、ということを感じる。
その極端な一例として、「暴力的ポルノからヘイトスピーチまで、あらゆる表現の自由を擁護するアカウントです」と自称するdokuninjin_blue氏のツイートを紹介しよう。
@dokuninjin_blue:
慰安婦像を建てることは、日本国内の歴史修正主義的な言説(ある種の人々がヘイトスピーチと呼ぶものも含めて)と同じく、表現の自由だと思いますが、その自由を制約するような「努力」を合意内容に含めたのは、凄いといいますか、なんで韓国政府はあんな内容を呑んだんでしょうね。
2015-12-31 12:23:42 via Twitter Web Client
ここでdokuninjin_blue氏は、社会による被害を表象した作品を、ヘイトスピーチや歴史修正主義と等閑視する。その評価基準のおかしさは今回は論じない。
しかし、日本政府が表現を抑圧したと批判せず、韓国政府に対して動機を疑問視するだけなのは、プロフィール欄にかかげた名言「私は君の言うことに反対だ。しかし君がそれを言う権利は命をかけても守ろう」にまったく反している。
中略
dokuninjin_blue氏が「あらゆる表現の自由を擁護する」と主張しつつ、具体的に示したのは「歴史修正主義」と「ヘイトスピーチ」だけだったことの意味がはっきりする。
「私は君の言うことに反対」どころか、どちらも過去の自分自身が許容し、主張すらした表現なのだ。
つまりプロフィール欄の「君がそれを言う権利は命をかけても守ろう」という名言は、dokuninjin_blue氏が他人に向けた言葉ではなく、他人に求めている言葉ということなのだろう。