>>300
>どう両立するのかな?

ttps://twitter.com/dokuninjin_blue/status/807842451826184192
ですから、「朝鮮人死ね」も「日本人死ね」も「表現の自由」という意味では「オッケー」だと思いますが、そのどちらも「正しくない」と思います。
なんの矛盾もないと思いますが。


>自由に差別する権利は欲しい。 ただ、良くないことだと決め付けるものでもないと思う。
10年近くも昔の書き込みで、
今の立場はかなり違う
ttps://twitter.com/dokuninjin_blue/status/820201300851728385
私は表現の自由に関する立場は捨てていません。ただし、単に「それを言う権利を守る」と言うだけではなく、「それに反対だ」ということもちゃんと言っていこうと考えたのです。
様々な正義が並存する社会を称揚することとは、正義に無関心であることを意味しませんから。

ttps://twitter.com/dokuninjin_blue/status/805337225542017024
であれば、私の考えはこうです。
表現の自由はポリティカルコレクトネスに反していたり、差別を扇動したり、他者や共同体にぶつける不当な悪罵であったりしても、自由は認められるべきだと考えています。
しかし、それが不当であれば、当然に批判されるべきだとも考えています。


実際に桜井誠氏を批判してる
ttps://twitter.com/dokuninjin_blue/status/815497428577067008
「嫌いということは自由だ」という桜井氏の主張自体は確かにそのとおりですが、あえてアーティストの名前をもじって「遺恨」などと言って反韓感情と結びつけて扇動するやり方は率直にいって悪質だと感じます。