「特に憎悪を持っている訳ではないが、自分の利益の為に庶民を騙して搾取してやるぜ。それが強者にふさわしい賢い生き方だぜ」
という心情を持ちうるのが残念ながら人間だろう
「憎悪を持ってないならば悪意は持たない筈だ」みたいな間違った先入観に囚われてしまうと正しい判断は出来なくなる
杉田聡教授によれば福沢諭吉は
「貧民に教育を施してしまうと貧民達が左翼思想を知り、権利意識の高い人間になってしまう可能性があるので
貧民には必要最低限以外の教育を施すべきではない」
という考えだったそうだ
それは福沢諭吉が階級固定を目論んでいたという事でもあると杉田聡教授は解説していたが
そういう福沢諭吉の考え方は貧民に対する悪意であると認識すべきものだ
けど>>801は「う〜ん、悪意と決めつける事は出来ないんじゃないかなあ」とか言いそうな
おかしな判断力を持ってそうな気がしてしまうね、>>801のこれまでの発言からすると。
>>800
ヘイトスピーチ規制法で人権侵害を防ぐのが欧米のリベラル左派の間で主流の考えだろう
千の丘ラジオみたいな物を表現の自由として死守していたら
結局、ジェノサイドが起こったりして多くの人々の自由が奪われるんだから
リベラル派とて表現の自由に制限をかけようとするのは当然の事だ
「完全に全ての表現を自由にする方向に向かわないならリベラル派の資格なし!」
という理屈に従うと
「放送禁止用語の完全撤廃を望まないとリベラル派の資格なし!」とか
「地上波全日帯テレビでレイプ物AVをエンタメとして放送する自由に賛成しないとリベラル派の資格なし!」
「名誉毀損罪と侮辱罪を廃止する事に賛成しないならリベラル派の資格なし!」
みたいな滅茶苦茶な話になってくる