■「任命拒否できる権限」は間違い

 ―官房長官会見では学問の自由については「法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事を通じて一定の監督権を行使するのは法律上可能。
その範囲内で行っているので、ただちに学問の自由の侵害にはつながらない」としている。
 学問を監督しようと言っているが、それが自由の侵害ではないか。もう一つ言うと、ほとんど同じ構造をもっている条文が憲法6条1項にある。天皇の国事行為だ。
「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とある。日本学術会議法では「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」。主語と述語は入れ替わるが、同じ構造だ。
ということは官房長官の言い方だと、国会が指名した人物について天皇が「この者は駄目だから任命しない」と言えることになる。同じ理屈だ。
つまり任命権があることを、「任命が拒否できる権限もある」というふうに思うのは間違いなのだ。

■独立性なくなれば存在意義なくなる

 拒否権があるかどうかというのは、結局どういう基準でその人を選んで任命することになっているかという法律全体の構造をみないと駄目なのだ。
日本学術会議法は第3条で独立を宣言している。3条をみると、まず柱書きで、「日本学術会議は独立して左の職務を行う」とはっきり独立と書いている。
「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること」「科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること」となっていて、学術会議の職務は独立なんだと書いてある。
 総理の下にあるけれど、総理からは独立してる。学術会議は学術行政について政府に勧告権もっているが、独立性がなくなれば、政府がこう言ってくれということしか言わなくなってしまう。
だから存在意義がなくなり、学問自体の独立や自由が公的機関では保障できなくなる。だからこの法律は、「任命しない」ということは考えていないのだ。

 ―任命から外れたと日本学術会議事務局長から電話で聞いた時のやりとりは。
 事務局は「ミスで落ちたんじゃないかと思って内閣府に問い合わせた。そしたらミスではないとのことだった」と話していた。
「しかし、落とした理由は言えないと言われた」とも。事務局は多分とても困惑したと思う。私もそう感じた。
「これは大変なことですよ」と言ったら「大変なことですね」と言われた。