日本では、議事妨害は非難の的になる。かつては野党による「牛歩戦術」という投票を遅延させる妨害が行われていた。閣僚や内閣不信任案提出も議事妨害とみなされる。
野党が何等かの議事妨害を行えば、メディアはこぞって批判する。「野党は反対ばかりしないで、“建設的提案”を行うべきだ」と非難する。
だが、いかなる法案の譲歩や修正にも応じない与党に向かって「建設的提案」をするとはどういう意味であろうか。

 日本では、議会制民主主義の本質は「多数決原理」にあると理解されている。一方、アメリカの民主主義では「多数決原理」より「少数者の権利」が重要視されている。
民主主義の基本は、いかに少数者の意見を汲み取るかにある。たとえ国会で過半数の議席数を占めたとしても、国民の過半数の支持を得たわけではない。
議席の過半数は、完全比例制ではない選挙制度の欠陥から得たものである。議席の過半数は国民の「白紙委任」を意味しているわけではない。

「党議拘束」を認め、「フィリバスター」を否定する制度は、民主主義的政府よりも「権威主義政府」を生み出すことになる。ちなみに中国共産党も「党内民主主義」を主張している。
だが、党内での多様性を認めない限り、本当の民主主義とはいえない。敢えて日本の現状を容認できる場合があるとすれば、党が多様性を保証している場合であろう。
かつての自民党は、そうした多様性を容認する政党であったが、現在は極めて“権威的な政党”になっているのではないだろうか。